2020年12月03日

米俵も土俵に(25)

         (九)割切る

 

 その後試験場の職場研鑽会で、同じことが何度か繰り返された。こういう全人愛和を唱えながら個々に追い込み見切っていく場面が続くことに、私はどこかで怖れを抱いていた。こういうことに慣れてしまわないのだろうか? と。作業に消極的な人々、要は顕現地造りに積極的でないとみなされた人々は、周囲の標的となっていった。かれらは全研の中での中調メンバー以上に孤立していた。

 
個人の姿勢を問う研鑽会は、当然ながら脱落する人や反発し抵抗する人も出した。趣味の時間がほしい、日曜日がほしいと嘆いていた新参画の中年男がいた。R会では「無停頓」と称し、特定日の休日を設けず必要に応じて涵養日を申請することになっていた。それは定休日が支障になりやすい生き物相手の職場には好都合でもあった。本を読みたい、勉強したいという若者がいた。彼らはいつしか姿が見えなくなった。しかしそれらは結果として私たち段取りメンバーの負担を軽減するようになっていった。同調する人々が増えていったのである。つまりメンバーはかつてなく働くようになっていった。

この事態の進展は、私のいささか苦しい自己弁明も忘れさせていった。つまり慣れていったのである。働き出した人々の内実が純粋だったかどうかは問わない。ありていに言えば私自身も含めて体が頑健で普通に仕事ができれば最も〝安全〟であった。そう、私がなんだかんだといってもこの時期を乗り越えられたのは、たぶん北海道で鍛えられた体力とクソ頑張りによってだった。むろん理想社会への強烈な希求は自分を支えはいたが、それは宗教的信条に近いものだったかもしれない。


 しかし全財産を放してこの生活体に参画した人々の多くはいまさら帰るべきシャバはなかった、という事情を充分加味してみる必要がある。ここへやってきた人々は、みなかつての地や職では選ばれた、あるいは自らを選んだ人であり、ここでは捨石でない何ものかになろうとしてやって来たはずであった。昔の出征兵士のごとく華々しく送られ、異境の山野にボロと死骸を晒すために行くつもりは毛頭なかったろう。私自身がそう願ってやってきていたのだ……

 

いやちがう。私はなにかしらぎくりとしたのである。私は自分に「土俵」になることを課した人間であって、もともと「米俵」のままの彼らとはちがう! 

そう、もともと体力がなく病弱だった人たちはそこを去るしかなかったならば、そこにその「米俵」の自覚しかない参画者メンバーの“持ち味”のテーマがどうなってしまうのか? なんということだろう。「個の実現にうつつを抜かす人ではなく」と私は一蹴していたが、それこそ私にとって配慮すべき大きなテーマだったのではないか!

そう、あれあれ、あれは何だったか? 私はついこの間まで自分に課していた記憶を何とか呼び覚まそうとしていた。あれはあれ「見出そう自分の良さを」だっけ。たしか里郷の養鶏部で感動した章句を。「合わせよう他人の良さを」をすっかり忘れ果てていたらしい。私がこの間佐名木でやってきたことはこれとは正反対の道だったかもしれない。それこそ対等相互世界構築への取り組みにつながっていたはずであった。



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2020年12月02日

米俵も土俵に(24)

発言者はみな全研参加者でその余韻から以前よりはずっと気持ちが高揚していた。私は一瞬疑った。私はひょっとして正義を象った魔を解き放ったのでないか? 仕事を肩代わりさせられたという報復の魔を。弱者をいじめ攻撃するという本能の魔を。

 たしかに昔聞いた査問や人民裁判のような雰囲気だったかもしれない。しかし一方で、いっしょにやろうよ、というメンバーの声かけは、自己批判を介した真摯な呼びかけであり、激励であることは疑うことはできない。ただ流れる時間、その一瞬の心の内実は外からは見えない。たとえその内実が真であっても、そのことがそのまま相手に伝わったかどうか。仁谷はほとんどなにも言わなかった、いや言えなかった。泣きそうな顔をしてうなだれているきりだった。

 一線を越えてほしいというねがい、そのことによって相手の幸福をねがうということは当然あっていいことではないか。人には自力だけで自分の弱さ、曖昧さ、怯懦を乗り切れない時がある。それを援助してあげるのだ。その際の遠慮や同情は、その人のことを真から思っていないことになる。


 翌日から職場に出てくるようになった仁谷をみな歓迎した。顔色はどこか冴えなかった。一週間職場に出たあと仁谷は消えた。つまり佐名木を夫婦で無断で出ていったのである。やりすぎたか! 
 私に一瞬後悔の念が走った。もっと仁谷の言い分を引き出してあげたら・・・・・・
 仁谷がもっと率直に自己説明できる人間だったら、そこまで自分を追いつめなくてよかったかもしれない。

  他方、それでよかったかもしれないという安堵も覚えた。仁谷はここではやれないという見切りがついたのだ。それはこちらがそうさせたわけでなく、彼自身が見切りをつけたのだ。だれがきてもここでやれる場をつくるという理想にウソはないはずだが、そのプロセスを担うのはだれでもいいというわけではなさそうだ。だれでも“土俵”になれるわけではない。一線を越える幸福を知る人と条件が整って幸福になる人とはちがう。仁谷はここに来るのが早すぎたのだ――

 

 



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2020年12月01日

米俵も土俵に(23)

その後私は、このテーマを前に幾度か煩悶を繰り返す。〝他にそうさせる〟という場合、それを相手が望んでいるかどうかは常に重大な問題である。私は元教師だったから日常的に子どもを「得せしめ」ようとしてきたことを思い出す。それも形だけのことをやるかどうかだけの。それでロバを水飲み場まで連れて行くことはできても、それを飲むかどうかはロバ次第だった。

 しかし今の相手は子どもではない、同志である。相手に「境地を得てもらおう」というなら、省みて他は云わず、こちら側の境地こそ最大の問題になるはずだった。動機はどうあれ、そこに真実があるならいいとしよう。自分の理想実践や仕事への喜びが相手に伝わる、他を思う純度が人を動かす。そういう境地は研鑽会などで時折希求し語ることはできた。しかし喉から手が出るほど人手が欲しい状況では、それはやはり事を成り立たせようとする熱意が先行し、たぶん境地の部分に継ぎ目が残らないとは言えない。わが心の良きにはあらず……


 月一にはやるようにしていた養鶏試験場の職場研鑽会でのことだった。休み勝ちや病弱なメンバーも極力出てもらえるように、私らは積極的に参加を呼びかけたし、わずかだが茶菓なども用意していた。だからあまり職場に出ていないメンバーが発言できるように心がけ、職場の段取りメンバーは耳を傾けるようにしていた。ところが後半から様子が変わった。


 口火を切ったのは私だった。足腰の痛みを訴え職場をよく休んでいた仁谷に少しきついかなと思いながら。それは本当に痛むだけか、病気のせいにして甘えていないか・・・・・・。しばらく沈黙があって雰囲気が変わった。他の段取りメンバーだけでなく、ふだん真面目に職場に出ていたメンバーからも仁谷に批判のコトバが集中した。

 厳しい状況の時だからこそ少しでもお役に立とうという気持ちはないのか。ここに居るだけでは参画しているとはいえない。男なら這ってでも出てくる時がある・・・・・・。なにか堰を切ったように。これまで押さえていたものを解き放つかのように。口を付いて出てくるものを止めようがなかった。ふだんから気の弱そうな仁谷は額に脂汗を浮かべ、太った体を所在投げに崩していた。




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