2020年07月30日

(79)微妙な誤解 「金無し」と「金要らぬ」は同義なのか?

 私自身の「拾い読み」で、それとなく内容紹介を試みてきたが、どうもそれを超えてしまいそうな問題意識も出てくる。最近の「ヒエラルキー」もそうだった。

そしてやはり出版前には触れておく必要性があるのは、「帯」の内容についてこれまで感じてきた苦渋がある。すなわち

「金無しで25年も暮らした。今さら外で金目当てに働く気がしないのだが…」

という部分、つまり私は初めて「金無し」という言葉を意識的に使ったのである。

 

実は今回のこの著作〈私記ないし手記〉を記述する直前ないし渦中までは「金の要らない村」ないし「金要らぬ村」という表現を普通に使っていた。つまり個的存在としては「金要らぬ」は同時に「金無し」なのであった。その意識は今も変わらないが、ただこれは下手に解釈を誤るとかなり面倒なことになる。

 

というのは、「金の要らない」村づくりは明らかに巨額の金銭なしには達成されなかった。そしてそれ以降の〈村〉生産物供給体制自体も多額の金銭に依存する。これらのことは表面的に見れば「村というのはずいぶん金がかかる」環境なのである(おまけに今でも〈無所有資金〉なる不可解珍妙なる造語が現実であるだろう)。だから、そういった背景に疎ければ「どこが〈金が要らないって言えるの?〉」と真面目に問われかねない。

いうまでもないがこの本来の「金の要らない」部分というのは「無所有」理念に基づく個の生活分野に限られるのである。

 

ここで私はハタと止まってしまった。この新刊はだれが読むのだろう? いやだれに読んでもらったらいいのか? いうまでもなくこれまでのヤマギシ関連の人たちはもちろんのことである。ただ私は、そういう誤解のしやすい一般の人々にこそ読んでもらいたいという明白な目的意識が生まれた。

 

というのは時あたかも世はまさに新型コロナウイルスという明白な時代的な苦悩の下にある。好機というのは失礼千万だろうが、しかし少なくとも私らが二十数年にわたって取り組んできた「金無し」の分野となんらかのかかわりがありそうな気がする。

これに対する私の危機感、状況認識については当ブログの72)「拭いようのない不吉な予感」73)「国家予算で国民の生活費を支給する時代」で表明した。

 

これは確かに少額かもしれないが、国家権力がかの敗戦時ですら見せなかったかつてないことをしでかしたのである。これはスーパーがまだ機能していたからいいものの、もしそれもだめなら現物給与の時代を迎えるだろう。そうなると我らになじみ深かった無所有生活、食生活の分野に限りなく近づいてくる。もっともこの将来構想については私たちによる、もっと斬新な未来構想があってしかるべきだと夢想する。

 

そういういわばあてにならない予測を楽しみに、私はこの新刊の宣伝に集中したい。



okkai335 at 12:16|PermalinkComments(0)

2020年07月24日

(78)ヒエラルキーはこうして始まった

  「ヒエラルキー」という言葉は私には今でもなじめない。しかし「職場人事の序列化配置」と言ってしまうには普通の会社では日常茶飯事な風景に過ぎない。それでこれを理想社会を目指す先進的な共同体での事象としてとりあげるにはあまりにも軽すぎる。使い慣れないカタカナ用語をあえて引っ張り出すゆえんである。それで今回の著作の表紙裏の「帯」として使った。

 実はその実態、しかも発端となる出発研鑽会が堂々と始まっていたのである。以下は著作中の「ある前史」から引用になる。

【その発端は各<村>、職場のかなりの経営係が集った場でのM氏の語りだった。曰く「段取りは理念に沿い、メンバーは段取りに沿う」というのである。段取りとはこのような各<村>、職場の役職に就くもののことであり、メンバーはその掌握化にある人々のことであった。いうまでもなくこれまで不明瞭だった新体制構想の骨子であった。この「段取りに沿う」というのが大多数のメンバーの課題となり、その段取り担当者のみが理念を研鑽の対象にできるという。さらにいえば、その段取り対象者への指導監督を担う上層指導部が公然と存在しているという実態の表明でもあった。
 私にはじめ違和感のようなものが走った。そのような区分けはこれまで研鑽学校等で教えられた一体理念「一列横の人」「互いに落ちず落とさずに」に反するように思われたからである。しかし私にはすでにそれを言い出すだけの<若さ>はなかった。やはりM氏への太い信頼感が機能していたと思う。】

 おそらく「実顕地」への推進が始まった1980年以降のことであるが、私は今でもその情景、M氏の語り口、その曇りがちの天候まで蘇る。それほど当時の私には、M氏にはありえない言説として聞いていたのである。

【そしてその構想はどんどん現実化されていった。組織体制は次第に一元化序列化、ヒエラルキーの方向に構築されていく。私もその序列の上位にあって、その体制を擁護する意識になっていたが、それによる様々なきしみに鈍感であり続けることはできなかった。
“上”といっても当初はこの道の先達たちに「見守られている」という意識だった。いわば親から変わらぬ親愛の情を注がれている感覚、ところがそれが時折間一髪で「監視されている」という意識に置き換わる。これはかなり微妙な、瞬時に刺さる小さな棘のような痛みであって、心内に秘かに留める程度のことであった。しかしこのどう評価されるのかというある種の疑心は、いわば「我執」であり微妙な内心の取り組みテーマの一つでもあった。】 

 あとは小説の方で確認してもらうしかないが、私はこの記述をどこかでした記憶がない。例によってボケの一種かもしれないが、事実なら初めて書く文章である。ならば、よくぞこの作品に間に合えたものだと安堵する。亡くなっていく旧友らの報が少なくない時節だからこそ、であろう。そしてそこに、かのM氏の没後の評価が大転換(微妙な表現だが<現実顕地>ではそのままだろう)していく過程の記述も含まないわけにはいかない。
 その過程の集約の一端が以下である。

帯裏)「金の要らない村」に序列ヒエラルキーとさらに体罰まで生まれた。このまま受け止めるしかないのかと何度も自問したが、闘うという選択肢はなかった。
〈村〉を出るしかない。




okkai335 at 03:22|PermalinkComments(0)

2020年07月22日

▼出版社との各連絡(+追記)

④書店配本予定   これ以前の可能性もないわけではないが、正式には 8月24日(月)以降

③業者 (株)ブイツーソリューション ℡052-799-7391 名古屋市

     出版社は「お手軽出版ドットコム」で上と別組織です。


②本の定価 

 △書名;「金要らぬ村」を出る…

  価格:1,000円+税

 ドットコムでは本の定価に著者の意志を入れるという。真意不明。私はあれこれ考えないで「1000円+税」というのを選んだ。本というのは中身に、ほんのちょっぴりの買いやすさ。要は読者数が増えること。


①配本時期
 書籍完成はたしか今月7月末と考え、その後書籍配本が即可能だと考えて問合わせ中でした。
ところがやはり現実はそんな甘いものではないようです。以下の案内をいただきました。よろしく。

<ご連絡いただき、ありがとうございます。
ブイツーソリューション お手軽出版ドットコム係です。


書籍完成後、書店流通分は2週間ほどでオンライン書店を含む書店のデータベースに反映され、注文が可能な状態になります。
その後1週間ほどで一般書店に委託配本される予定です。
今回の場合はお盆の期間を挟みますので、8月の下旬頃から書店で取り寄せ可能になると思います。
各オンライン書店の扱いは各サイトによって異なりますが、お盆期間中に購入可能になるところもあるかもしれません。
書籍の発売日は何日と決まるものではございませんので上記のご案内でお願いいたします。>

 そうなってくるとそのつもりで行くしかないようですが、
近くなったら最寄りの書店に、電話で
<『「金要らぬ村」を出る…』という本を購入したい。それをこの電話で注文しておきたいが・・・>
という手配をしておいたらいいと思います。申し訳ありません。













okkai335 at 15:47|PermalinkComments(0)