2021年01月09日

面接(3)

 

(二)

 

 春休みに入っていたM建築研修学校の待合室は、寒々しく閑散としていた。その学校は補助職員一名を募集していて、彼はそれに応募したのだった。その日最後の面接予定者として、彼は四人目の面接が終るのを膝を抱えながら待っていた。もう午後も遅い窓外を見ると、白く煙ったような雨はまだ止んでいなかった。今度もまた駄目かもしれない……。寒さなのか緊張と不安なのか、彼の胸がきゅっと痛んだ。職探しを始めて三度目の面接だった。

 
 この時を迎えて、彼の迷いはいささか大きくなっていた。これまで通り“丸裸”でいいのだろうか? これまでの面接で、彼は自分の前歴について何一つ隠さなかった。それは男一匹天地になにも恥じるものはないという気概からくるというより、世間知らずからだったろう。それはこれまでのムラの習慣をたぶんに引きずっていた。


 今はかなり様子も変わってきているが、彼がこれまで暮していたムラでは、“丸裸”が気楽であり、開けっぴろげな気風がいわば伝統として漂っていた。そこが共同体として互いに家族の一員のような間柄になっていたからだし、またそうなるようにいろんなテーマに沿って皆で考える「研鑽会」が多く持たれていた。そこは集団生活だったから、周囲に対しなにかを隠そうとしてもすぐ表われてしまう所でもあった。

 
 そんな雰囲気そのまま街に出た彼は、就職の面接についても同じ態度をとり続けた。彼の親近感丸出しの態度に、対手はみな好意的に見えた。しかし二度の面接結果はいずれも「貴意に沿い難く……」だった。それまで気楽に考えていた彼も、いささか不安を覚え警戒の念が兆し始めた。好意的に見えたのも、おそらく表面的な反応にすぎないのではないか。握手しようとして差し出す手をたいていの人は拒みはしない。ただそういう人を彼のいわば特殊な前歴も含めて採用したいと思うかどうか? もう少し考えた方がいい。このままいけば、自由を求めてただの不自由に転落するだけになるかもしれない。しかし履歴書は以前そのままのものが提出してあった。

 

 ドアの外から彼の名が呼ばれた。彼は立ち上がり、締め慣れないネクタイをもう一度締め直してドアに向かった。面接室の中は暖かかった。長テーブルを前に三人の男が座っていた。一礼して座った彼の向い右手には、細長い男爵芋を下の方で少し潰したような眼鏡の男がいた。緊張してませんかなと愛想よく声をかけて、彼を待合室からこの室まで案内した男だった。中央には壮年の精悍な顔立ちをしたがっしりした肩幅の男が、左手には頭の禿げた周辺に白髪を散らし口をへの字に曲げた老年の男がいた。

 
 男爵芋氏がテーブル上の書面を覗きながら、年齢、住所、経歴について一通り型通りの質問をした。

「ほう、営繕も剪定もできる。大型免許もいけるんですか。これは重宝ですな」

 彼の緊張した胸にやわらかい希望の光が射した。

「はい、一応なんでもこなしてきたもんですから」

「以前には教職の経験もあるんですね」

「一応十年くらいですが。でももうかなり時効ですけど」

 相変わらず余計なことを言いすぎる、学校なら教職経験は立派に生きるだろうに。彼に小さな悔恨が走る。



okkai335 at 01:59|PermalinkComments(0)

2021年01月08日

面接(2)

 彼は妻の言うことをしごくもっともなことだと思っていた。妻の言うように、たしかにここはかれら夫婦が参画した頃に較べ、すこぶる豊かに便利になってきた。もともと北海道で教師をやっていた彼が別海のR会試験場に参画した頃は、妻は生活水準の急激な下落で奈落の底に落ち込んだような気持ちだったろう。数年後に津軽海峡を越えてM県のムラ本部に異動し、すでに十数年を経過していた。


「しかしなあ、キリストもいうじゃないか、人はパンのみにて生きるにあらずって。生活面で居心地がいいからって精神面で居心地がいいとは限らない。このままここにいると、おれは駄目になりそうだよ」

「逆に心だけじゃだめだ、まず豊かなパンが、ってあなたはいつも言ってたでしょうが……。でもそうね、そろそろ潮時かもしれないわね。いつまでもこんな蛇の生殺しみたいな状態ではどちらも駄目になりそうね」

彼のつぶやきに似たセリフもずっと繰り返されたものだったから、それに対する妻の諦めの言葉も別に驚くことではなかった。

「でも私は行かないわ。あなたの居心地に合わせて、なんで私がついて行かねばならないの。あなたはまた私を、便利なメシ炊きばあさんにするしかないでしょうね。それがいやだから、わざわざここまでやってきたのに……。私はここがずっと居心地がいいのよ」

「そうかもしれん。ここではみんな健康で善い人ばかり、物差しも良い方向の物差しばかり。おれはやっぱり、いろんな物差しが見えるところで暮したくなっている……」

 彼はここでの妻の暮しの充実を認めていた。彼女の養鶏における雛の育成はほとんどプロ並だった。こんな妻を自分のあいまいで不確かな道行きに連れ出す権利もなにもない。彼は、彼の求める世界をなんと名づけていいか知らない。もし精神の自立なる言葉がそれに近いとしたら、その自立なるもののために妻に再び従属の生活を強いていいはずがない。

 数日して彼は妻に告げた。おれのわがままを許してほしい、いつまでになるか分らないがここを出てしばらく別居したい、と。妻は私も気が向いたら行くわ、たいへんだったら帰っておいで、と答えた。彼は、娘には落ち着くまでしばらく言わんとおいてなと付け加えた。





okkai335 at 07:25|PermalinkComments(0)

2021年01月06日

面接(1)

 

「やれやれ、これで最後にしてほしいなあ」

「副理事長、お疲れでしょう。それにしても思いがけずたくさん来ましたな。やっぱり不況の影響はかなり深刻ですよ」

「今度の人は、ちと気になりますので最後にまわしてますが、前、R会にいたようですよ」

「なに、R会? それってなんだ?」

「私も知らなかったので、念のためインターネットで検索してみました。一般にはあまり知られてないようですが、いわゆる共同体というらしいですね。一番多い所で数百人、他は十数人から数十人単位で、全国各地のいくつかの村で共同生活をしてるんですな」

「ほう、そんなものがこの日本にあるのか。共同体というと大家族みたいなもの? それにしては規模が大きいな」

「共同経営なんですかね。いったいそれはなんで食ってるんだ?」

「農業のようです。野菜や畜産加工品、有精卵などの広告がかなり出てますな。その産直でやってるようです。それだけならいいんですが、財産返還云々で係争中のケースがあるようです」

「ううむ、それだとちょっとアブナイかな。そこにいた人がなんでうちなんかに?」

「なんか疑問をもって飛び出したと履歴書に書いていますね。それと教育に関わりのある仕事に就きたいそうです」

「そうか、まあよく様子をみようか」  

 

(一)

 

 二ヶ月前のことだった。彼は妻にR会のこのムラを離れたいと切り出した。六畳一間の夫婦だけの部屋で、彼は数ヶ月にわたって閉じこもっていたのだ。

 彼が住んでいたのは、一大コロニーとでもいうべき集落の北側にある数棟の宿舎の一室だった。そこから南側一帯に牛舎や鶏舎、豚舎、精肉場、飼料配合所、蔬菜畑、出荷場などのムラの生産基地が広がっていた。宿舎群がゆるやかに囲むほぼ中央に庭園があり、それに面して食堂やロビー、さらにその近辺に浴場や洗濯場、さらに衣類・日用雑貨の陳列場があった。ムラの中はお金を使わない暮らしだったから、それらはタダの店でもあった。そのムラ人の生活を満たす空間にほとんど出ていこうとしない彼に、妻が食堂から毎晩のように食事を運んだ。

 食事が終ってしばらくしてからだった。彼の切り出した話に妻は目を丸くして押し黙った。いつもは職場やムラの情報を機関銃のようにしゃべりまくる妻に、彼は黙って相槌を打つだけだったのに。しかしそれも束の間だった。

「……いろいろ大変なこともあって、ようやっとここまできたのよ。もうあなたも五十に手が届くというのに、今頃何をふらふらするの。娘も私らの願い通り農業大好き娘に育ったし、私たちの人生を楽しめるのもこれからでしょう。あなたは暇がありすぎるから、と言ったって自分勝手に休んでるからでしょうが、余計なこと考えすぎるのよ」

 妻の口許は生真面目に結ばれた。彼にとっては何度かの聞きなれたセリフだった。妻にはムラを出る話は初めてだったが、彼のいわば訳の分らない引きこもりをなじる時、妻は似たようなことを言い続けていた。



okkai335 at 15:16|PermalinkComments(0)