2020年08月14日

(82)改稿「金要らぬ」「働かざる」の境地

(前回の論を改稿する)

「金要らぬ」 「働かざる」のテーマは、やはり「金を得るために働かない」に尽きると思う。

でも誰かが働いた。それで必要なものが満たされた。自分だけのというより

みんなに必要なものが。

 

 ところでぼくは『追わずとも牛は往く』という手記を書いていていた(村出以降)。

これは別海での1976~77年のたった2年の体験記録だった(2018出版)。そしてそれを書くことは心地よかった。そこに明らかに体験自体の心地よさがあった。

 

そこで思い切ってあの旧著を紐どいてみた。偶然別海の村に泊まり翌朝参画の手続きに行く直前、知床の連山に直面する場面があった。

 

私たちの「個」は互いに屹立し他と峻別される単峰でなく

あの並び立つ連山の峰の一つになりうるならば、とねがうのです

人はともにあることが避けがたいからこそ

睦み会うものとして生まれたのでしょう

だから自分だけでなく自分を含めた人々のために

身体を使うこと知恵を働かすことが心地よく爽快なはずです

そんな大家族の未知の可能性にかけてみたいのです

 

ぼくは自分ながらへーと感嘆していた。偶然にも最も出会いたかった章句だった。そしてこの内容で日々充実して動き得たら、「生産性を超えた生きている価値」に到達しえるはずだと感じた。そこで改めて別海で感じてきた心地よさなるものは、まさにこの「生産性を超えた生きている価値」にあったのではないかと思えてきた。

 

それは理からいえば「この連山の一峰」と重なってくるのである。そしてあれこれの場面がそのように生きてきた証のように思い出されてきた。なんと疎いことか。おそらく金銭との代償では絶対にそうは感じられなかったであろう。

 

 

 



okkai335 at 07:52|PermalinkComments(0)

2020年08月13日

〇書店申し込みについて

ぼくはもう横浜の著名な書店に申し込んで連絡待ちの状態です。
たぶん24日以前に入手できるんじゃないか。

書店に電話で聞くときに「ブイツウソリューション」なる耳慣れない
カタカナを持ち出す前に

ずばり「金要らぬ村を出る・・・」という書名を知らせて
「近いうちに出るからよろしく」と言うことです。
それでわからない〈イナカ〉なら言ったらいいでしょう。
いずれもぼくの旧友から学んだものです。



okkai335 at 02:07|PermalinkComments(0)

2020年08月10日

81)「金要らぬ」「働かざる」の未来価値

 新刊〈「金要らぬ村」を出る…〉のメッセージがどこまで届くものか、私はずっと腰を据えて待ち続けてきた。そしてその待ちきれない一端がすでに紹介してきた新型コロナウイルスに関わる私の未来構想(ぶろぐ72、73)といってもいい。さらにそれ以上のものが出ないか。

 

ところが出てきたのである。ある旧友B氏からの短いメールであった。

【「金いらぬ」「働かざる」は今最大の根元意識、
楽しみな本を上梓してくれた。
(元参議院議員山本太郎、れいわ新選組は
生産性を超えた生きている価値を言っている】


 私がながいことねがってきた発想が、そこに短く記されていた。

すなわちそれこそ「金無しで25年も暮らした。今さら外で・・・」

の帯の文に深く連通する。

 

ちなみにこの「れいわ新選組」山本氏らの動きについては、このブログ(66)でも紹介済みである。

〈一昨年の参院選比例区で、「れいわ新選組」が重度の障碍者2議席を確保した。いうまでもなくその推進主役となった山本太郎氏の実践的叡智に拠るところが大きい。選挙のウソくさい無意味さを見事に大転換させて見せたのである。いうまでもなく福祉の依存者でしかなかった人々を国政の推進者に大転換させた。ハヴェルの思索と実践(「力なき者たちの力」)が時代を超えて日本でも花開いたと実感する。〉

 

私がB氏と出会ったのは1960年安保闘争であった。共に大学の寮生だった。

今も同じ80歳前、あの当時ともに描いた〈幻想〉を今も共にたどっていたのである。

しかもその「生産性を超えた生きている価値」を見失ってきたのはヤマギシ自体であり、そのことに長いこと気づかなかった私自身のことでもあった。

 

今回の新著はその取戻しの記録といってもいい。



okkai335 at 03:21|PermalinkComments(0)