㉙元学園生の手記を読んで(続) 吉田光男㉛手垢の付いた言葉  吉田光男さんより

2019年11月06日

㉚元学園生の手記を読んで(続々)  吉田光男

 

とにかく人間は誤り多き存在である。間違いだらけ、失敗だらけの人生だと言ってもいいくらいの存在に過ぎない。しかし、失敗や間違いは、貴重な財産でもある。そこを振り返り明日の糧にすることでより正しい道を歩むことができる。それには何が必要かといえば、一人ひとりが謙虚になって研鑽生活をする以外にない。「ヤマギシズム生活の絶対条件・生命線は研鑽である」と言われながら、実態は単なる話し合いや打ち合わせに堕していないだろうか。そして妥協や迎合に終始してはいないだろうか。

先の「子供研鑽会」資料には、研鑽の本質が描かれている。

「本当に自分も良くなろうと思えば、みんなが良くならなければ、自分が良くなることが出来ませんから、みんなが良くなることは正しく、そうでないものを間違いとしてきめていきます。そうしてみんながそうだとわかるところまで考えてきめます。その中で、そうでないと言う人が一人でもいれば、みんなでもっと考えます。……

……ごまかさずに、だまさずに、わからないことはわからない、知らないことは知らないと言って、だれの言うこともよく聞き、一生けんめいに考えます」

 

実に簡単明瞭に研鑽の本質を描き出している。「先生の言うこともおとなの人の言うことも」、つまり本庁の係であろうと学園の係であろうと、古い参画者であろうと、学識のある人であろうと、「だれの言うこともよく聞き」「ごまかさずに、だまさずに、わからないことはわからない、知らないことは知らないと言って、一生けんめいに考える」ことが研鑽だと山岸さんは言っている。しかし私たちのやってきたことは、「わからないことをわからない」と言わず、「知らないことを知らない」と言わずに、「あの人が言うのだから間違いなかろう」とか「こう考えるのが本当らしい」と、何となく正しいらしいと推測したものに進んで自分を合わせてきた。研鑽・けんさんと言いながら、もっとも研鑽から遠い生活をしてきたのではないか。学園問題の本質も、結局は研鑽の不在にあったのではないかと思う。

では事は簡単、本来の研鑽生活に立ち戻ればいいだけである。と言いたいのであるが、そうは簡単ではない。山岸会発足から60年、春日山がスタートして55年、その間どれだけ多くの研鑽、研鑽会が行われてきたことか。しかしながら、実顕地の暮らしが真に研鑽に裏打ちされているとは言いがたい。これが現実である。私たちは、まずこの現実を正直に認めることから出発する以外にない。

研鑽を妨げる考え方や気風には、何となく「みんなに合わせるのがいい」「全体の流れに逆らってはいけない」といったムードが働いている。反対や異論を嫌うのである。そこから、“全員一致”あるいは“一枚岩”の思想が生まれてくる。しかし、自分の中でもさまざまな相反する考えが浮かぶように、大勢の人の間に多くの考えの違いが生ずるのは当然のことである。「違って当然、しかも一致している」。では、何が違って、何が一致しているのか。

 

 

鶴見俊輔さんたちの共同研究『転向』に、藤田省三さんは戦前の共産主義運動、特に福本イズムが支配的であった頃の一枚岩的組織について、次のように書いている。

「(党内の)民主的討論の原則は、同質のものの間の空疎な用語の修正のやりとりとなって形骸化する。とともに他方、集団はいつの間にかエピゴーネンの集団と化す」

コミンテルンの指導する国際共産主義運動に自らを合わせようとして、異論を封殺し、みんなが小スターリン、小福本になろうとして、遂にエピゴーネンの集団と化していったというのである。その際重視されていたのが、党内用語である。その言葉さえ使っていれば、異端とはみなされない“お守り言葉”として用いられ、その結果、言葉は貧困化した。言葉の貧困化は、思想の貧困化を招く。

異論は、一つの方向が誤りに思えたときに、軌道修正する重要な参考資料になる。しかし、多くの運動組織は、左翼も右翼も宗教組織も、みな異論を排除して一枚岩の組織であり続けようとしてきた。そこから、組織内の闘争・指導権争いが起こり、排斥・除名、そして遂には投獄・処刑に至ることもしばしばであった。

山岸さんは恐らく、こうした組織とは全く異なる組織のあり方をヤマギシズム社会組織に求めようとしたのだと思う。意見はいろいろ異なって当たり前、しかも対立にならずに、妥協や迎合もない組織のあり方、その一つの試みが実顕地ではないだろうか。そしてそのカギとなるのが“研鑽”である。研鑽が生命線というのは、まさにその意味にほかならない。

研鑽は単なる話し合いでも打ち合わせでもない。「ごまかさずに、だまさずに、わからないことをわからない、知らないことを知らないと言って、だれの言うこともよく聞き、一生けんめいに考えます」。これは、誰でもわかる。納得できる。しかし、なかなか実践できてはいない。わからないことをわからないと言わず、知らないことを知らないと言わずに、沈黙したり、いい加減に聞き流したりしていないだろうか。そして、真剣に考えずに多数の意見に同調し、安心・安全を求めてしまう。こうした私たちの態度が、学園の行き詰まりをもたらし、I さんのような学園生を生み出してきたのである。

時代は内外ともに行き詰まり、文明の大きな転換期に来ている。しかし、先行きは不透明で、未だどこへ向かうのか、向かうべきなのか、一向に見えてこない。ヤマギシの存在意義が時代に問われているのである。

耳をすませば、この社会からはさまざまな喘ぎが聞こえてくる。子どもたちの間には、いじめや差別がはびこり、青年たちは就活に追われて自分が「何者」かわからぬ状況に置かれ、あげくは三割以上の若者が派遣労働を強いられている。また年寄りは年寄りで、その多くが老々介護や孤独死の恐怖にさらされている。今こそヤマギシの生き方が求められているのではないだろうか。

しかし、そうした声を聞き取り時代の要請に応えるには、実顕地の生活を真に研鑽生活と言えるまでに深める努力から始めなければならない。そのためにこそ、まず「研鑽とは何か」ということを、あらためて考え直してみたい。

 

 

先に「子供研鑽会」資料の一部を紹介したが、理念研の中で山岸さんが語った「研鑽」に関する発言を幾つか抜き出してみよう。

*人の意見を聞いた時も「こら、ええな」としたら危ない。むろん「こんなものいかん」と、そんなに早まるものでないと思う。

*「みんなが一致したから、それで良い」と、ここだけのそれをしたら危ない。……「これが良い」とキメてかかったら省みないわ、人が言ったかて。馬車馬みたい、盲馬というのか、目隠しして走ってる馬みたい、これではね。

*どうもはき違い、聞き違いが多いわね。正確に聴き取ったという人は一人もない。みな、謂ったら誤解や。それがずいぶん邪魔するということね。「わしはあの人をこう聞いた」といっても、言った人の気持ちと同じということは絶対ない。どんな澄み切った鏡に映しても、逆さに映るのやぜ。……せめて同じ方向の誤解ならましやけど、全く逆方向の誤解が相当あるね。……誤解が全部であり、曲解が相当あり、逆解釈もずいぶんあるということでかなわんが。

*反対の意見こそ、自分を再検討し、間違いへの警告であったり、前進への大きな参考価値があるかと思われるし、意見が違う間はわかりやすい簡単なことでも、わかりを妨げるものを自分側につくるもの……。 

*どこまでも「果たしてそうだろうか」「そうであるかもしれないが、そうでないかもしれない」という線を残して、共に考え進められることが大切である。 

*人間には……〈自動的な知恵〉を使おうとしないで、〈他動的な知識〉で盲従しようとする錯覚癖があるようだ。

*どちらも間違いをもっているだろうから、「そうじゃない」でなく、「そうかもしれん」で。信じ込まないこと。 

*頑固と云うと、すぐ相手を考える。あの人さえ頑固でなかったら、あの頑固さがとれたなら、と。 

*本当は全知全能でない限り、正しい判断は出来ないものと思う。あの人こそ最高の人格者であり、全知全能の神様の再現だから、凡人のわれわれの考えでは到底はかり知ることが出来ないなどと、ひとから聞いたことや、自分で感じたことから判断して、神様ときめつけ、全部が正しいかのように信じこみ、凡てをまかし、服従する盲信型もずいぶん頑固なもの。 

*自分の考えは正しいか正しくないか分からない自分であり、また他の観念も正しいか正しくないか分からないとする自分になることから出発する。 

*人間かしこぶるより、大バカになること。大バカが大仕事する。

以上は、「山岸巳代蔵全集」の六巻および七巻から山岸さんの発言のほんの一部を抜粋したものであるが、考えさせるものをたくさん含んでいると思う。

 

 

I さんの手記を読んで、自分を振り返りながら、私は自分の研鑽不足に思い至った。不足というより、研鑽のない生き方をしてきたな、と思わされた。

以上が I さんの手記を読んだ私の率直な感想である。この手記を読んだ人はぜひとも自分を振り返り、その感想を書いてみてほしい。未来の子どもたちのために、そして再び学園を用意するためにも、自分たちが、そして実顕地が、いま何をしなければならないかを共に考えていきたい。

                            2013年10月



okkai335 at 02:50│Comments(0)

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