㉛手垢の付いた言葉  吉田光男さんより㉝(続)わが初期ジッケンチ論 悪無限的労働体質

2019年11月15日

㉜わが初期ジッケンチ論の紹介

(しばらく私の初期の実顕地論を紹介していきます。内容的にあまり繰り返しにならないよう抜粋的に、また時間的順序は逆に2部からにしました)

<試論>ジッケンチとは何だったのか    福井正之     2009/2
                            
第2部、<崇高本能>へのアンビバレンスな夢
アンビバレンス ambivalence (両面価値 《正反対の感情の共存》)

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
(茨木のり子「六月」)

前章(第一部のこと)で論述したのはジッケンチ自壊についての心的、構造的理由についてであった。本章はそれを前提に、ありうべき別の可能性について考えてみた。いずれもそれは自らに納得しうる説明を模索する試みであり、かかわりのあった人々への「説明責任」を果たしたいという願望からである。これらはいうまでもなく、ジッケンチにあっての私自身の果たした役割についての罪責感からくるものであり、自己批判の一つの試みでもある。

(1)<俗なる幸福感>の可能性

ヤマギシが世の非難・指弾を受けている頃、悪夢のようなおぞましい“皮肉”をヤマギシ取材のテレビ報道から知らされた記憶がある。ジッケンチの村人窓口で外出する村人の一人が金を受け取っていた。これから地元の音楽会に行くのだという。明らかにヤラセだと直感した。私は訳の分からぬ気恥ずかしさで全身怖気を振るっていた。これまでそんなことがだれかにできたことだとは聞いたことがなかった。指導部のだれかが隠密に、あるいはそういう強い趣味のある人が“特別許可”で、行くことはあったかもしれない。その部分をあえて公然と紹介したのかもしれなかった。しかし誰もが余暇に音楽会や映画に行くなどという日常はそこには存在していなかった。(後に十日に一度の休暇と一人に月一万の小遣いが出るようになって、それは多少緩和されていったようだが)

余暇なく小遣いもない長時間労働の世界は、これまで「業場としての実顕地」論の流れを受け、いわばメンバーのやる気・献身の美徳として説明されていた。しかしそれに乗れない不満を抱えていたメンバーも多くいたはずである。事実、昔ある供給所を尋ねた際、参画したばかりの中年のメンバーから「なぜ日曜がないのか、本も読みたい、盆栽いじりもしたい」と涙ながら訴えられて言葉もなかった記憶がある。さらに外部の同調者からは「よくやるね」と感心はされても「長期的には暮らせないキツイ社会」と見做されていた。ところがそこに意外な映像が現出したのである。それはまたジッケンチメンバーの日頃の夢でもあった。しかも外から見ても好もしい風景だった。どういう経緯でそうなったか知らないが、指導部は世の非難を緩和する策としてあえてそのような偽装をやってのけたのであろう。

ここで問題にしたいのは偽装の持つ胡散臭さもあるが、ジッケンチメンバーの日常的な幸福感ということである。これまでジッケンチは「真の幸福」すなわち「幸福とは人生の真の姿」という理念から、常識的な幸福感をいわば次元の低いものとみなしてきた。たしかに損得、安楽、美醜、健康などに囚われない幸福感の存在はメンバーなら誰しも知り経験してもいることだと思う。それらはたぶん「真実に生きる幸福」に属する。ただ常時その域で生きるとなると、かなりの抵抗やキツさがあるだろう。そこでイズム研鑽に集中する長期研鑽会や「振出し寮」と日常生活を画然と分離したのだと思う。そういういわば聖なる幸福感(真の幸福)を味わう時間だけではなく、俗なる幸福感、すなわち美味い物を食べ、きれいな衣服に着飾り、多少の趣味に興じる時間があるということは人間生活の再生産、持続へのかなり大きなファクターになりうる。ジッケンチメンバーでもこれを拒む人は少ないだろう。そして食堂、住宅、涵養所、展示室など衣食住の生活根幹について、それらはある程度実現されてきたのである。ただし指導部から「参観」と称するいわばお披露目入りの恩恵として。

これは清貧・禁欲を旨とした少数派の草創期から、多数化大衆化するとともに必然的に登場する誓約集団の流れでもある。ヤマギシもその例に漏れない。酒、タバコの「禁」は少々例外的な感もあるが、「業場」的様相が後景に退き生活を楽しむ要素が次第に増えていったのも、その当然の流れだった。そしてその先にあるものは涵養日であり、小遣いであり、家族の小旅行であり……というふうに、いろんなものが少しずつ解禁され、いわば生活の楽しみを増やしながらイズム生活をおくる、という生活スタイルは当然にも予想されていたと考える。

ところがマスコミ等の非難批判を契機として、その後「1800人の(相互)無告離脱者」を出す。終生にわたる豊かな生活が始まりつつある場所なのに、しかも<俗なる幸福感>の侮りがたい力を無視できないがゆえに、私はいったいなぜ? と疑った。かなり飛躍するかもしれないが、私はベルリンの壁が破壊された背景を思い出してしまう。それは、一つには東側の人々の西への、思想もクソもない豊かさへの憧憬であり、そのきっかけはテレビだったという。この人民大衆の持つ本能的衝動は歴史の地殻を大きく揺り動かしたのだ。“離脱者1800人”はそれとは明らかに規模も動機も異なる。彼らは東ドイツ民衆のように西のシャバに憧れたわけではない。リストラや長期不況の続くシャバは、必ずしもそれほど魅力的ではなかった。しかし無告、沈黙の、いわば衝動に似た行動によって、相当人員が数年にしてジッケンチという壁(実際金を提案して許可されなければ外に出れなかった)を越えたのである。

(2)『なるべく働かないための研鑽』はどこへ?

いささか無謀な過去への願望になるが、結果からみてこの<俗なる幸福感>への必然の流れを可能な限り先取りし、山岸氏が書くように『なるべく働かないための研鑽を』『将来は一週10時間か5時間くらいの労働で』について公然と研鑽し目標とすべきではなかったろうか。“将来は”と山岸氏は限定しているようだが、あの青本の何箇所かの似たような趣旨の記述を読み返してみれば、それはまさに現在の現実の課題として提案されていることは明白である。労働の神聖を否定し、牛馬に劣るバカ働きを皮肉り……さらに特徴的なことは「知的革命の端緒 一卵革命を提唱す」と掲げられる章のはじめに近い部分で「働きすぎる―馬鹿働きを」が掲げられていることだ。これはこのテーマがまさに「知的革命」の重要な要諦の一つとして示されていたのではないだろうか。

とすれば「なるべく働かないための研鑽」とは「実顕地」の日々の職場研における重要なテーマだったはずである。そこから産業面のみならず生活分野も含めた相互刺激、創意工夫の土壌を涵養できたであろう。身近な安楽のためでなく、理想追求の一環としてなされることだから、文字通り「高きが上に高きを」の崇高本能の開発をベースとした豊かな文化実現への情熱が湧き上がったであろう。ただ実態はそんな高尚なものでなくとも、衆知を寄せての研鑽とそれによるある程度の試行錯誤が可能な、生活を楽しむ気風だけでも充分だったのだ。もちろん、先を考えない今の安楽のために衰退した多くの歴史的事例が教える通り、そういう軌道修正は経済的余剰を前提としたもので、困難な課題であることはいうまでもない。特に内部留保の拡大的持続を至上命令とする経営陣には、気が気でない課題ではある。だからこれは私の過去へのはかない夢である。夢ではあるが、山岸氏が想定した「一村の気風を変える」「世界中から見に来て世界中へ広がる」の伝播力を考えれば、取り組み甲斐があるテーマだったのではないか、と思えてならない。

いまや21世紀に入り、マスメディア、情報文化の華々しい達成のもとに、悪事もたちまち千里を走るが、求められる豊かな暮らしぶりも千里を走るのである。たとえ小規模生活体でも、そこに万人が納得するある完結した、生涯にわたっての生活を楽しめる実態が存在するならば世間は放置しないだろう。そこが一点の偽装もない真実であればあるほど。ならばあのヤマギシ会組織表(仰々しくてあまりなじめなかったが)による恐ろしげな「即賎中核部」なるものはほんの仕掛け人程度にして「モデルメンバー」だけの村づくりでよかったのだ。拡大部や公報活動の相当部分も省略されるどころか、案内所程度以外はなくなっていたであろう。

だから最初にあげた、誰もが余暇に音楽会や映画に行くなどという日常は偽装でないとしたら、いまだ貧しいながらかなり正解の方向にあったはずである。ところが現実に進行したのは、山岸氏の期待に反した労働の悪無限性の継続であり、学園高等部ですらそれを前提にした“労働実学”の継続(初期成立時は文化水準的にもある華があった)だった。さらに何の新鮮味も展望もない路線「世界中に実顕地を」の呼号だった。この「ジッケンチ拡大の悪無限性」は、広報拡大の悪無限性(ジッケンチの不祥事を糊塗する破目になっていった)につながり、それに愛想尽かしをした<会活動>メンバーが、もっとも早くそこを離脱したのは故あることだったのだ。

この悪無限性を断ち切るのは、単なる経営面の蓄積の必要を超えた「真目的」(「全人幸福」といってもいい)なるもの、しかもそれを漠然とした時間的彼方にも、空間的遠方にも置かないシャープな限定だったはずである。過去は現在を支配するが、未来も同じく現在を支配する。その未来の不特定、曖昧性が現在を不幸にするなら、その未来は怪しいと見た方がノーマルだ。逆にいえば「真目的」なるものが抽象化された観念と化し、時間的現在から未来へと直通するビビッドで、豊かなイメージとして膨らみ感得されることがなかったのではないか。もしそうであれば、それこそこの運動の本質的な欠陥と疑わざるをえない。まったくいつまでも特講の絵図程度じゃしようがない、あれはとっくに博物館入りしていて当然だと思うのである。

またあの山岸氏の文章の中で珍しく昂揚した詩的美文調「そこには陽光燦き、清澄・明朗の大気の裡に……」の世界、「見るもの聞く声皆楽しく、美しく、飽くるを知らず……」の世界、「各々が持てる特技を練り、知性は知性を培い育て、高きが上に高きを……」の世界、これらの世界を実見し、体感しえたメンバーはどれくらい居たのだろうか? “心境的あるいは境地的”の人はどこかに居たのかもしれないが、残念ながら出会う機会はなかった。私などは時折その萌芽を実感しなかったわけではない。しかし大勢は、いずれそのうちに、の彼方に期待していたのみで、いわば願望をこめてその文を経典のように諳んじるだけに終わったのである。

すなわちその山岸氏が幻視した世界こそ、この運動の真目的であったはずだ。しかし、その想像上のピークをさらに高めることはできなかったばかりか、到達すらできなかった。それに骨格と肉付けを与えるために粉骨砕身してきたつもりだったが、ピークを高めたのは産業であり、組織であり、員数であり……といった手段的派生的なものばかりだった。ああいう世界を実見・体感できるのは、おそらく山岸氏に次ぐ天才的想像力を持った特別人間しかいないだろうが、ただ凡人だけでもその「一体」力で“集団としての天才”に到達できると夢想したことはある。まあそこまでは無理にしても、普通人の集まりで考えればやはり必要な条件を揃えねばならない。すなわち相当な余暇と、それによる試行錯誤と、さらに集団的叡智を交流できる仕組みだった。いうまでもなくその出発点として先述した労働時間の短縮が絶対的な条件だったのである。(続)





okkai335 at 03:32│Comments(0)

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