㉝(続)わが初期ジッケンチ論 悪無限的労働体質㉟ わが初期ジッケンチ論(Ⅳ)「人生の総てを縛する」とは

2019年11月22日

㉞わが初期ジッケンチ論(Ⅲ)「百家斉放」の夢

(5)周知を寄せるべき百花斉放の夢

それくらいなら、と最初から精神文化的営為を共同体の目標に置いた武者小路「新しい村」や福祉主体の「紫陽花村」や仕事終わりの全員入浴を実践したミニ共同体など、それらにあった“守るべきものへの覚悟”を想ったりする。それらはたぶん怒涛のような経済競争の只中でほとんどは自壊していったと思う。またそれらと内容はちがうが同質の指向を持っていた中調派がヤマギシの大勢を占めていたとしても、たぶん同じ運命を辿ったであろう。

その中でイズム理念を固守しながら生き残り、さらには経営的な成功を勝ち得たジッケンチは、その前身たる造成派の奮闘によるところが大きいのである。ジッケンチの骨格を成すのは造成派の人脈によって形成されたピラミッド型の産業経営体だった。(そしてたぶん私もその遅ればせの一人だった)ところがそれは次なる課題を構想・実行すべき時に瓦解した。惜しいことに、それへの資本、資材、人材等も充分に蓄積されていたはずだった。そしてその瓦解の背景・原因も私見によれば同じシステムによるのである。

それにしてもなぜこのシステムとこの労働体質を、指導部は瓦解の寸前まで手放すことはなかったのだろうか。私にはそこに何かしら執拗なものを感じる。この執拗さとは、いうまでもなく私の夢想から来る。それこそ「光彩輝く将来」を一点凝視しながら、状況の変化に臨機対応すべき柔軟さがあれば、もう少し事態は異なった進展を見せたのではなかろうか、という夢想――

すなわち労働時間短縮、産業・運動の無限的拡大の歯止め抑制、逆に生活を楽しめる余暇の拡大、指導部の実質的自動解任、路線を巡る大衆的研鑽、情報の公開開示、時代の要請に応えての試験研究の広範な実施、シャバとの隔離でなく門戸を開いての真の豊かさ競争、子どもらの<世間>への留学と遊学……

こういうことはいうまでもなく一挙にはできない。それ相応の相当なリスクが欠かせないだろう。ただしそれによって顕現された実態は、表面的繁栄に終わらず、かつ容易に自壊しえない人間共同の真実の“強さ”を確立しえたのではなかろうか。そしてそのリスクを取り戻して余りある光彩を世に放ちえたのではなかろうか。

今のような自壊の惨状に鑑みれば、せめて行き詰まる寸前の一手、もっと言えばいささかなりとも先取りの一手が少しずつでも、さらに言えばメンバー全員の現実の希望に沿って実施されていたなら、と夢は果てしない。私一人でもこうなのだから、周知を寄せた百花斉放の中では、玉石混交はあれどさらに豊かな構想が登場しえたのではないか。

だが夢想から醒めれば、現実の経営の確保こそ疑いようもなくジッケンチの永続的な生命線であった。そんな甘いことは大義の前に瞬時も許さるべきことではなかろう。安楽に弱い人間には一瞬の油断が命取りになる。経営の維持確保はどれだけ執拗でも執拗過ぎることはないのだ、と。

ジッケンチ前史は私にはほとんど薄明だが、「中央調整機関」(中調)の胎内から輩出し造成派を率いたS氏(後の実質的ジッケンチリーダー)の胸中にあったのは、ひょっとしたらこの「中調」への深い絶望ではなかったろうか。(もちろん“絶望”とは私の勝手な言い草で理念的には別の表現となるだろう)

春日山の試験場に配置されたばかりの私の古い記憶では、最初の片付け作業はこれまでの試験場の試験研究の残骸だった。それらの試験テーマを聞いて、当時の私には愚にもつかない目先のお遊びにしか見えなかった。中調管轄下での、こんなことをいくらやっていても展望は見えてこないという思い。たぶん試験研究の日常とは際限もない無用と思えるガラクタの積み重ねでしかないだろう。にもかかわらず今やることはそれではない……

たぶんS氏らはそれどころではない「中調」への見切りから仕事を始め、ヤマギシの主流となって構築したジッケンチを世に注目すべき存在たらしめたのだ。そのことを想えば、またそれに全心身を投入してきた私自身の関与を想えば、あの執拗さも同情に耐えない。しかしその結末としてのS氏の最後はこの運動の<不条理>について何事かを示唆するように思う。そこにまた私のアンビヴァレンスな挫折感と夢想は深々と残る。(続ー「人生の総てを縛するなんて無理がある」)



okkai335 at 03:04│Comments(0)

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
㉝(続)わが初期ジッケンチ論 悪無限的労働体質㉟ わが初期ジッケンチ論(Ⅳ)「人生の総てを縛する」とは