㉞わが初期ジッケンチ論(Ⅲ)「百家斉放」の夢㊱わが初期ジッケンチ論(Ⅴ) <大きな家族>という幻想

2019年11月23日

㉟ わが初期ジッケンチ論(Ⅳ)「人生の総てを縛する」とは

(6)人生の総てを縛するなんて無理がある

そうなればこれも仮定のまた仮定、夢のまた夢であるが、もし私がもう少し早くこのジッケンチに絶望し、そこを離脱することなく(離脱した人は私以前に多くいたはずだ)たたかい抜こうとする眼力・知力と強力な仲間と頑強な持続的行動力があれば……その実践こそ真の自己批判たりえただろう。しかし私は絶望以前に離脱し、その挫折感を引きずったまま今日まで悶々とするのみだった。

そうならざるを得なかった状況の必然を前ジッケンチ論1部にいささか述べてきたが、もう一つ付け加えれば、そこまでは自分の「任」ではないという内奥からの心音にぶつかる。能力、資質、体質はもちろん、ある種の好みからいって。私は山岸巳代蔵を尊敬し敬愛するし、この稿のジッケンチへの違和感も氏の言説を手がかりにしてきた。だが、どこかほんのちょっと体質的になじめない部分がある。

その一つはあの青本である。中身は幾度となく熟読玩味した。いいものはいいのである。だからそのメッセージと構想に献身しえた。だが……あの大時代的秘密結社的な装丁と文体は(私にとっては末梢事ではなかった)ついに最後までなじめなかった。つまり私は山岸巳代蔵とは心中寸前までいったが、それを貫徹しえない何かが残っていた。また私は離脱後一時、鈴鹿のグループに共感した時期もあったが、ほんの紙一重でそうはならなかったのも、たぶんこの一点だった(のちに表面的装丁は一変したが)。

そう、私はずっと胸裏深く普通人、市井の一庶民たることに憧れていたようだ。ここ数年、私は貧しく生活不如意で老後の不安を抱えながらではあるが、それに近い暮らしを生き延びてきた。誰に顧慮することなく、自己一個の乏しい稼ぎでも何とか成り立たせうる自前の生活スタイルはなによりも愛おしいものだった。そういう境遇下で<生活を楽しむ>とはどういうことか、あれこれ味得できたような気がする。もちろんそれでは許されぬ自己責任の課題を抱えつつも。

たぶん私は「転向」したのである。その定義はいろいろあろうが、かつて伝統左翼では転向者は裏切り者であり<変節漢>だった。ジッケンチでも離脱者に対し、一部そういう見方もあるらしい。あって当然である。思想によって自他の生涯を誓約させ、律してきたのだから。しかしその思想が時代や民衆の生活と離反し、多くの錯誤による失策と犠牲を生み出すとしたら、もはや有効性を失いかえって有害となって過去の遺物となるしかない。そこにいつまでも固執するとしたら、たぶんそれは宗教的心情に限りなく近づく。そこから人が離れ、新たな真実への模索が始まり、思想を変更するのは、まったく自然なことである。それは中世ではかなり困難なことではあったが、もはや現代では科学的真理の変更と同じく取り扱われていいはずだ。

そもそも理想、大義、真目的なるものへの参画と称し、人生の総てを最初から(あるいは中途からでも)自縛・他縛するようなことは、どこか虚偽があると思うようになった。その流れは必然的に子どもの未来をも束縛するのだ。そういう簡単な真実を知るのに、私には二度の挫折が必要だった。一度目は学生運動、二度目はヤマギシ。よっぽど大バカでも三度目はない。普通人にとっては、そこまでできるほど人生は長くはない。

結果として生涯それに献身した(あるいは棒に振った)ということはありえていい。すなわち参画的誓約というのは充分ありえる。思想的認識・受肉のピークにおいて生涯この道を貫きたいという欲求が生じるのは決して不自然なことではない。僧侶の出家なぞは(職業的世襲的側面を除けば)まさにそういう性格のものである。そして偶然の僥倖もあろうが、それで一貫しえた人も相当数実在する。しかし私は、それはやはり「特別人間」クラスに属すると思う。多く参画的誓約は、そういうピーク的現在が存在しえたという証にはなるが、結果は習慣的依存に陥り、ないしはそれに耐ええない転身・離脱に至るのである。(その点次元はちがうが、どこか結婚誓約を連想させる。恋愛のピークにおいて結婚に至るように)

人間はどんな天才的人物であれ、またどんな最新科学を駆使してさえ、高々十年、あるいは数年先の自分の将来を予測できるほど賢明ではない。それが可能だというのは傲慢であるか、信じやすい人であるか、嘘をついているのである。

ただ思想・理念上の選択ではなく職業選択や仕事についていえば、生涯を一貫するということは、将来予測はどうあれ、大いにありうることはいうまでもない。それは30年先までのローンを組んでマンションを購入する庶民の決断をバカげたことだとは思えないのと同じことである。それらは結果からみて、一生を理想主義的団体に投じた“選ばれた”極少派よりもずっと賢明だったのだ。

ところがどういう神経と生理の働きであるか、私(たち)はそれを掲げる集団をやすやすと<信じて>参画した。こういうことは普通庶民の知恵からは起こりえない。一歩一歩自前の灯りで足元を照らしながら前進し、その進度に応じて将来の夢が膨らむ。それに付き従っていくだけでよかった。ところが他人が打ち出した壮大な夢に幻惑され、そこに早急に飛び込むのは自殺行為、で大げさであれば自己喪失行為になるしかない。すなわち私(たち)はよっぽどお先っ走りのお調子者か、地に足がつかなかった痴れ者であったわけである。

もっともそれには時代の波というものへの言及がなければバランスを欠く。私が生まれた20世紀は「戦争と革命の時代」であり、わが半生の眺望は巨大なイデオロギーが瀰漫し、対立し、挫折し、風化していくプロセスだった。そして19歳で60年安保に出会ったことが決定的だった。すなわち大いなる幻影が私を捉え、学生運動の渦中へ、それが挫折して後十年ヤマギシに遭遇した。

そこで全国各地で街頭ドンちゃん騒ぎが沸騰していた60年に、そんな騒動に見向きもしないで「数家族で別海に入植していた共同体」のことを聞いた。これこそ庶民による現実的土着的な革命だ、と焼けぽっくいに火がついたのが、ヤマギシへのシフトの始まりだった。こうして私は幻想から現実に踏み込んだつもりでいたが、今にして思えばこれも“庶民的土着的現実”と称する巨大なイデオロギーであった。それくらい現実の根は深く、背伸びした輩の足をあっさりすくうのである。

 ただそうはいってもヤマギシやジッケンチは、まるっきり虚妄だったわけではない。あの生産物や楽園村や学園への着目はそれなりに正解だった。その分だけそのイデオロギーは生き延びたのだが、内情の一端が暴露されることによって、それもあっさりと費消されてしまったのである。(続――「大きな家族という幻想」) 




okkai335 at 07:02│Comments(0)

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