㊱わが初期ジッケンチ論(Ⅴ) <大きな家族>という幻想㊳後記 「実顕地」の歴史的評価に向けて

2019年12月01日

㊲わが初期ジッケンチ論(Ⅵ)「特別人間」ではなく普通人として

(8)「特別人間」ではなく普通人として

ところで今直面するこの現実社会は、理念なき脱イデオロギーの社会であり、一昔よりは安っぽい理念と信条が渦巻くガラクタ社会になっているにすぎない。私たちのかつての“背伸び”も、おそらくそれを予見した苛立ち、あるいはそれをバネとした本質指向から来るものだったと慰謝したいものだ。しかしそれもある一線を行き過ぎ“本質バカ”たるを証するにしかなかった。――以上のことは、はかない過去への繰言であり夢である。今さらジッケンチに他の路線への変更を期待しても空しい。また私自身、今後ヤマギシに何らかのかかわりを持つことも考えられない。

今はまったく個的生活に安息しているが、この“個的”というのも大きな矛盾を孕んだ在りようである。個のために個に尽くすというのは、自己保存本能は別にして、同義反復的虚無、あるいはある種の自家中毒に帰結し、必ずしも幸福なことではない。不思議なのは、何かのために尽くしていると思えたら不幸は帳消しになる。また(私はもうごめんだが)理想・正義という突っかい棒なしに生きられるほど人は強くはない、とも言う。映画の宣伝で「ゲバラのいない時代は不幸だが、ゲバラを必要とする時代はもっと不幸だ」という少々気が利いた風のコピーがあった。そのゲバラに山岸巳代蔵を置き換えてもいい。

21世紀はすでに幻滅の時代である。こういう谷底状態が続けば、普通庶民の堅実さ・気楽さといっても、いつ転落するかわからない不安定なものである。したがって「人間一体」をベースとした親愛社会、総親和社会樹立への夢は誰の心中にも永続するだろう。そしていつまた山岸巳代蔵の亜種が登場しないでもない。

ジッケンチに在ったころわれら(推進層)は「この理念を実践するためにここに来た」とよく息巻いていた。労働に限らず行動の動機は、理念の実践にあった。これは明らかに自己保存本能への刺激とは異なる精神の取組みであった。いうまでもなくこの両者の動機付け・刺激の優劣はジッケンチではずっと自明であった。すなわち理念による動機付け(いわゆる実顕)がずっと高級だったのである。

しかしいったん街に出て自己保存の危機で行動せざるをえない状況を体験してみれば、その優劣はどこかウソっぽい。というのは山岸氏が奇しくも「他の悲しみを自分の悲しみと思い、自分の歓びを他の喜びとする」と述べたことは、私にはシャバの方でこそしみじみと実感されたのである。

そこではどうしても自己保存の危機に基づくぎりぎりの打算が主になるが、同時に身銭を切る苦痛と喜びもないわけではなかった。その真情のレベルは決して低いとは思えない。ひとにはどこか「ひととともに」あろうとする本能(また人情とでもいうのだろうか)が内在し、それはきわめて稀な機会、ある自然必然的な条件一致に遭遇した時に萌え出し燃えあがるものらしい。そういうことが予測されそうにない困難な場であればあるほど、それは光る。山岸さんはそれもたぶん「崇高本能」と呼んだ。

だからそれをヘンに理念化し、取り組みのテーマとしないまでである。またそれを金科玉条に自他に迫らないまでである。やればやるほどウソっぽくなる。そのためジッケンチでの方が、まま本能の持つ自然さを欠いていたように思う。

すなわち理念型実践のかなりは生活・生存を保障された人々の余裕の産物と見える。またそうではない高邁な人格の存在は否定しないものの、私にはどうしても例外的な「特別人間」に見える。そのような自己保存のための葛藤が乏しい環境で実践される理念は、一見華々しいがどこか空疎・上げ底で<理念のための理念>と化していった。語彙不足の、貧しいイズム用語で研鑽すればするほど、実感を欠いた思い込みの固定になっていなかったろうか。参画者が街に出てみたくなる動機の一つは、私がそうであったようにまさに<実感を求めての旅>にあった。

たしかにもともと人間は、どこまでも理想・真理を求め、理念自体に化すことができる。私はそこに人間の偉大さがあるとどこかで考えてきた。その結果がヤマギシ参画とそこでの取り組みだった。ところがその真理とはどうして知りうるのか? 

それは普遍的であり個々の主観的感覚を超えたものだから、感覚からは知ることは困難である。またそれは俗人ではない真人こそ知りうる、と。ならば真人を目指すべきだろうが、私には「真理」なるものは「特別人間」の所管に見えてきた。ならばまたその特別人から学び、あるいは信仰すべきだろうが、その気も起らない。だから与えられ学ぶべき「真理」は私には縁がない世界だと思うことにした。

私が手掛かりにできるのは、今のところわが全心身で嗅覚でき、かつ実感できる真実しかない。聖人君子なる「特別人間」(山岸氏はその言葉を否定的に使ったが、私は彼こそ「特別人間」であると断ずる)になりたい人は勝手にやったらいいだけである。普通の庶民感覚からすればそれは<へんな人>である。そしてこの思いは私の二十年のジッケンチ体験が齎す慙愧の思いであり、自分のなかでわずかに残しうる感覚的な智恵に属すると思っている。

もちろん私は歴史上理念に準じた偉大なる人の存在を否定できるとは思わない。山岸巳代蔵氏も然り。しかも日本農民の知恵と力を引き出し、理想社会の思想・事業・実績の現実化をここまで導き得た例は他を知らない。また同時にその<「特別人間」としての矛盾>を極限まで生き貫いたこともすざまじいことだと考える。

私は住込みマンション管理員の職にあって住民からいろんなものを贈られる見返りに、冬場浜に流れてくるワカメを拾い湯がいて贈っている。すると急速に人間間の心情的距離が近くなるのだ。それがうれしくなってまた贈りたくなる。そうなるとお返し、見返りの観念はかなり薄れているのを感じる。ただ贈りたいのだ。しかし誰でもいいとは思えない。あくまでも個別の想像が働く範囲なのだ。

このささやかな経験から想うのだが、数家族+α程度の、しかも「餅ならぬ、おにぎり」程度のミニ共同体のようなものなら、私はずっと関心を寄せるだろう。「金の要らない仲良い楽しい村」というのは、キャッチフレーズとして今でもかなりの傑作だと思っているが、これに「自由」を加えたい。自由性がなければ楽しくならないのだが、あえて強調する。また仲良い、楽しい、家族同然になる、その結果として金を個々に持つ必要がなくなる、という順番がありそうだ。ただこのプロセスは至難の道である。

いうまでもなく、そのために理念というものが一義となる生き方になるなら、お呼びじゃない。もちろんやむをえざる親愛の情にほだされての人間の共同については、これを否定する気は毛頭ない。しかしそれを意識的につくろうとは思わぬ。そのような心情が自然発生的に内発する地点に出会わないかぎり、それはどこかウソになる。
 
その思いをこめて巻頭に詩句「六月」を掲げた。また「鼓腹撃壌」も掲げたかったがいささか古風すぎる。しかしその「帝力我になんぞあらんや」は太古の昔から庶民の歴史をつらぬく永遠の夢であった。そしてその庶民生活の沸騰する幸福感の表現には、やはり酒と踊りが相応しかったのだ。

ともあれこの運動は挫折した。路線の軌道修正のチャンスを失い、個々の方法論がまずかったということもあるが、歴史の時流が満ち、人が集い寄った千載一遇の機会を逸したのである。多少大げさな感慨を言わせていただくなら、ヤマギシに限らず、日本の民衆社会運動はいつの時代でも、求められる課題を実現可能ピーク寸前でほとんど逸してきた。またその後は、往時のピークを回復しえたという記憶も乏しい。いまだ薄命の未来に対し(未来の結果からすれば)限られた構想、人材、資材をもってしか<現在>に直面できない。それが歴史の宿命ということなのだろうか。

(第2部終了、次回は後書き)



okkai335 at 03:14│Comments(0)

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