㊲わが初期ジッケンチ論(Ⅵ)「特別人間」ではなく普通人として㊴第3部 <ジッケンチ学育>編

2019年12月04日

㊳後記 「実顕地」の歴史的評価に向けて

これまでの考察を、空間的にも時間的にも可能な限り拡大して照射してみたい。

ジッケンチへの直接のマイナス評価になってくるのは、やはり被害をこうむり、犠牲になったみなされる人々、学園生についての情報と、どんどん増えるジッケンチメンバーの離脱情報だった。その被害や犠牲については、意識的に情報を集めたわけではないので知見はかなり乏しいが、ジッケンチ生活や学園生活に起因するなんらかの精神的・肉体的ダメージを受けた被害者を生み出したこと。精神的・肉体的後遺症に苦しむ人。社会適応に苦しむ子弟たち。さらにいうまでもなくジッケンチ離脱による多くの難民、すなわち失望して離脱した人、あるいは「追放」された人、その離脱後の生活窮乏・老後への乏しい保障。家族離散解体に陥った人である。またそれらのマイナス的事態の出現に伴って、これまで支援していただいた有志・会員の皆さんに、多大の迷惑、精神的・物的苦痛を与えてしまったこと。

理想を掲げたあらゆる改革・革命の志が現実に展開するプロセスで、このような犠牲者や被害者を生み出すことは、歴史的に観て不可避だとは思うものの、現実にこと志とちがったこのような事態に触れてみると、やはり無念、残念で言葉もない。社会実験のような実験上の失敗なら許されるが(実験は本来失敗を前提とし、その失敗によるリスクを回避する準備が予めなされる)それは実験ではなく紛れもなく実行だった。ヤマギシ理念としての「急進」は、実験としての慎重さをあっさり凌駕していた。多くは失敗を恐れずその覚悟で参加していたとはいえ、である。

他方、にもかかわらず私には、ヤマギシについて評価すべきものもあった、という思いが残る。すなわち大いなるマイナスもあっただろうが、「功罪」ともにあったと思うのである。少なくとも私自身二十年数年にわたって、そこに粉骨砕身して賭けてきた運動について、簡単に批判し否定できるものではない。それは自分の人生を否定するに等しい。もちろんそれは身びいきの心情から来るのであるが、問題点はあぶりだすにしろ、その意義についても公正客観的な評価 がほしいとねがう。世間ではマスコミ等の指弾があまりにもきつかったために、マイナスイメージ一色だったから、まずそこを少し解除する必要があるのではないか。オウム真理教並みの糾弾はあまりにも度を越している。

一般に運動・組織体の「罪」といえばそれら死者の犠牲を伴った社会的事件、オウム真理教以外で遡れば連合赤軍の事件、さらにもっと大きく遡れば国家的罪悪としての戦争がそれに当たるだろう。これらは「盗人にも三分の理」ということわざを援用すれば、ほんの少しの「功」がありうる。即ちそれは社会的病巣のようなものを表現し、その解明を通してその病巣を摘出する可能性を示しうるからである。

私は、ヤマギシの「功」とはそのような社会悪の解明による社会への還元という「功」とはっきり一線を画していたと考える。私見によればヤマギシは、家族を超えた人間共同の生活体を現実に形成し、産業・生活・教育・福祉等にそのかなりの可能性と限界を示唆したと見える。またそのような可能性を孕んだ質でなければ、私など数千人が希望と理想に燃えてそこに結集・参画するはずがなく、それのほぼ十数倍する会員有志を生み出すことはできなかったはずである。その全貌・実態のいわば<失敗学的>解明・考察によっては、社会や歴史への貢献、すなわち功の部分をもそれなりに明示しうるのではないかと秘かにねがってさえいる。

それはこの論考のはじめに、アンビバレンス(両面価値)という微妙な表現を冠したことにもかかわる。たしかにその志した社会改革的要素とその現実社会への影響については失敗作だったといえるかもしれない。しかし、ひとつの大集団の「社会実験」として観た場合、かなりの“功”の部分をも指摘しうるのではないか。その「無所有」をベースとした「かつてない社会」を、いまだ多くの限界を伴いながらだろうが、現実に建設、提示しえたことである。さらにその循環農業経営、「実学」的教育システム、相互扶助的生活文化等の内容においてもへ。

その規模と多様性においてここまで展開しえた共同体は、日本近代では他にありえなかったのではなかろうか。現在世に広がりつつある省エネ、循環、エコ、グリーンなどと称される生産・生活の様式は、(かなり隠蔽的な部分がなかったとは言えないが)ヤマギシですでに先駆的に始められていたことに着目してもいい。また「ゆりかご前から墓場のあとまで」という人間一生の終生保障の理念は(今はたぶん)頓挫したとはいえ、次代の社会保障システム形成への有力な参考となるものを残しえたと考える。

ただ他方、「間違いなからんとして間違い多い」この未知・未体験の過渡期に、間違うということはありえても残念ながらやむをえない。推進指導メンバーはやはり普通以上に優秀だったとしても、あの路線では最後は沈黙という政治的対処しかできなかった。私もただ沈黙して見守ることしかできなかったが、後になってふり返れば必要だったのは、このことを公表し、説明しようと意図し、不可能ならせめて衆知を寄せ考究(研鑽)する機会をつくろうとしなかったことだと思う。いうまでもなく山岸巳代蔵氏の「幸福研鑽会」路線のことである。その経験はジッケンチが軌道に乗って以降ほとんどなかった。

そのため極論すれば同志たちの(生活苦、精神苦等の)<屍臭>芬々として漂う中で、いまだなんの「追悼」もなされていない。いうまでもなく「追悼」とは表現であって形式ではない。この一点で私の時間は止まり、自分はどう考え総括するかに精神的営為を集中することになる。いうまでもなくこれらのことは本質的に他に求め期待することではないのだろう。他がどうであれ、また他がどう変わろうと、まずできることは私自身に関わることである。したがってこのことはまず個々の「心内の決済」として果たされるしかない。またそれによってしか、止まった時間を前に進めることはできないだろう。

またこのことを通して、私たちの大いなる志やその成功のみならず、挫折・失敗が正しく歴史に録されることなしに、この多大なリスクを伴った営みと試みが未来への生産的な遺産となりえないと思う。またその価値は十分にあると信じる。 私のこの些少な「自己批判的総括」がそこまで届くとは思えないが、微力なりとそのきっかけになればとねがう。(2009/2記)


okkai335 at 03:07│Comments(0)

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