㊳後記 「実顕地」の歴史的評価に向けて㊵幼年部について

2019年12月08日

㊴第3部 <ジッケンチ学育>編

<ジッケンチ学育>とは何だったのか (2012/3)

序)世間から見た「ヤマギシズム学園」の特異性

 私はジッケンチの教育、すなわち理念的には「ヤマギシズム学育」の世界にかなり専門的にかかわってきた人間である。しかしこと志に反し、私の現在の生活レベルはジッケンチの外にあって、ざっくりいえば下層・プア層に属するだろう。よってヤマギシ関連でいえば、まず実顕地生産物の巡回車と出合っても高価で手が出ないから、だいたいはスーパーの安売りサービスに依存してきた。

 さらに当時のヤマギシズム学園幼年部の学費(生活費込)は月額7万円であり、高等部が9万円だった。他の寄宿型学園がどの程度だったか詳らかにしないが、これだけの出費を覚悟して地域から1人ないし2人の子を送り出せる世帯となると所得階層からすれば中・上位以上で、かなり限られてくるのではないか。

 私はかつてジッケンチに在った頃、学園の渉外担当として、こういう階層の親たちと子どもを通して付き合ってきた。この親たちのヤマギシ関連でのコースは、生産物→楽園村→学園送り→親の参画の流れであり、中でも80年代後半からの大量参画がこの親たちからだったというのは特筆に値する。

 それ以前の参画者は私もそうだが、思想・理念や共同体・コミューン、あるいは福祉への関心からであり、そこからの参画も小規模ずつなものであった。ところがこの時期のきっかけは子どもの学園入学に集中しており、さらに子どもと生き方・方向を同じくするために参画してきたのであった。

 このことは当時の私たちからすれば、いわばねがってもない奇跡的な壮観であった。たかが一共同体にすぎない場に子どもの教育を託して日本全国から子どもらが集まり、しかも次いで親たちまでもがその共同体の事業に参画してくるということであり、さらにその結果として共同体の画期的な発展が実現するということであった。

 もちろんそこには、社会全体からすれば泡沫のごとき一共同体生存のための必死の画策があった。と同時にそこには従来の訓育的な教育技術ではない「学育」環境、すなわち<理想的な社会環境こそ理想的な教育を可能にする>という心ある人々の夢想に点火する実態を垣間見せていたのである。

 普通の市民的バランス感覚では、子どもを海外の遠隔地まで送り出すことはあっても、親自身がこれまでの生活、人間関係などの全てを投げうって一見未知不可解な集団に飛び込むということは、おそらくはまずありえない。またそこまでしなければ子どもが育たないとは断言しうるものでもない。しかし私は虚偽とは思わず当時の高揚した気分から、それに近い断定を行ったことがままあったことを慚愧の念とともに思い出す。つまり私は<育つ>という定義において、ある特定化された方向性を一般化していたのだ。

 今シャバ=地域にあって普通の市民感覚で暮らしている身からすれば、子どもはどこでも育つというのが実感である。年齢によって目的目標が特殊化されてくればコースを異にすればいいだけであった。それも実顕地の場合、専門的な技能ではなく,生活・農業体験による心身の涵養等の教育目標があったとしても、方向性としては<全人幸福の生き方>を目指すとなれば、相当風変わりで特殊な選択ということになる。

 しかし当時参画者拡大はジッケンチの至上命令であった。私自身も決して強いられたわけでなく率先してそのために活動していた。ということは子育てという目的と親の参画という目的とが、理想社会建設という大目的に統合されるものとして、私のなかでは矛盾なくつながっていた。

 私は学園幼年部担当として選ばれ、「愛児に楽園を」「子放し親放れ」理念の下、かつてない学園づくりにいわば打ち震えながら取り組んできた。それが軌道に乗ってくると、内外の要請もあっていっそうの拡大を求め、いつしか明らかにジッケンチ拡大=参画の一コースとなっていった。その<子どもの入学>と<親の参画>という二目的の後者に力点が置かれ、前者が軽視されればそれは手段―目的関係に変質する。あからさまではないにせよ、次第にその現実の力点移動は進行しつつあった。

 もちろんその過程では親自身の新たな生き方への転換が子どもへの教育意図とはいったん区別された自己納得として進んでいったはずである。したがってたまたま親夫婦間の亀裂や家族の解体があっても当事者自体のテーマであり、私は「真目的」実現の数少ないリスクとしてやむをえないことと考えた。そのうちその痛みも少なくなっていったであろう。親たちのどちらかでも参画したら、一体生活というより高次な<幸福>があるじゃないかと考えることで。しかし参画後の実態からすれば、それはまさに<空手形>だったと思われる方もおられただろうし、それがのちの大量離脱にもつながっていった。(2012/3記)




(現在の註)上で展開されてきた運動集約的な実践世界とはまったく対極の世界を、たまたまだが昔のマイメモ集の中から発見した。またしても吉本隆明である! しばし瞑目・・・・・・

「でもぼくは、一般社会の中にいて、不登校的な生き方を貫いていくべきだと思うのです。自分たちが優れていると思っている人も、その逆の人も、一般の人たちとは別に自分たちだけの社会を作ろうとは思わない方がいい。なぜかというと、閉じられた集団に身を置くことは決していいことではないからです。スタートの時点から、一般社会と自分を区切るようなことをしてはいけない。自分を特別な位置においてしまうと、世の中には色々な人がいて、考え方が違ってもみんな平等なんだ……ということが成り立たなくなってしまいます。それに同質のものが集まって作る社会は傷つくこともなく快適ですが、先が閉じています。発展していく余地がないのです。いくら立派な理由があって作った集団でも、始末におえないものになってしまう恐れがあります。」
(「ひきこもれ――ひとりの時間をもつということ」大和書房)



okkai335 at 06:23│Comments(0)

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
㊳後記 「実顕地」の歴史的評価に向けて㊵幼年部について