㊶幼年部(2)<母子分離トラウマ>について ㊸幼年部史へのある推測 このタイムラグは何?

2019年12月13日

㊷幼年部(3) 元幼年部生映像作品『アヒルの子』について

 その後、私は幼年部における母子分離トラウマの紛れもない実在にずばり直面する。それは2010年秋、たまたま幼年部出身監督小野さやかさん(以下Aさんとする)によるドキュメンタリー映画『アヒルの子』を参観することによってだった。そういうことが起こりうるなんて私には驚くべきことで、まさかと疑いながらも、来るべきものが来たという、おののくような気持ちで映画館に足を運んだ。映画作品を観覧するという通常の目的とはまったく別に、元幼年部生の現実に直面するために。

 問題のトラウマについては、この作品を貫く主題となっており、監督であり、主人公でもあるAさんは、思春期に「自分が何者か分からない」「自分はいつ死んでもいい無価値な人間だ」と思ってしまう存在になったことで悩み苦しんだことがモチーフになっていた。その理由として「幼年部入学で親に棄てられた」「だから棄てられないよう『いい子』を演じてきた」という。それに対するお父さんの言葉は「お前がそんなトラウマを抱えていたとは知らなかった」、あるいはお姉さんの「ずっとお前の好きなようにやってきたんじゃないの」というものだった。しかしAさんが両親と「対決」する凄まじさから、その決意というか覚悟は並々のものではないことが伝わってきた。

 ここで焦点となるのは「親に捨てられた」ということであって、厳密にいえば幼年部自体がトラウマの対象になっているわけではない。ただ主人公には幼年部時代の記憶はないということだが、そこが「捨てられた」という記憶が焼付くだけのおぞましい場であったのであろう。他の例の紹介はなかったが、こういう記憶がある程度予想されるのは、たぶん親との別れ際に子どもらが思い余って泣き叫んだことが浮かぶ。親にとってもこの場面はつらい。また残念ながら、幼年部の日常の中で淋しく厳しい場面で親を求めて泣いていたこともあったかもしれない。

 しかし当時私たちたちは、そうはならないよう細心を尽くしたことだった。にもかかわらずそうなるとすればそこでの日常が必ずしも楽しいばかりではなかった、ということになる。たとえば食物の好悪や子ども同士の衝突は避けられないことであり、その際失意を感じた子への(仮親である)係の配慮や思いやりから漏れた子もいたかもしれない。そんな場合、泣き叫んでも得られない実の母親への希求やその断念の苦悩がなんらかの傷として残る場合もあったかもしれない。

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 映像で私は20歳過ぎの元幼年部生の何人かに、初めての対面をしている。どのような過去があったにせよ、今や母親にもなっている彼女たちはそれなりに普通の健全な生活者として、その頃のことについて闊達に語っていた。それ自体は幼年部についての記憶に基づく当事者の貴重な証言であり、直接幼年部の育ち全体の当否について評価を下す資料とはいえないが、幼年部についての公開された稀で重要な資料といえるものだった。

 その中で、一応私の期待に反した事例を挙げると、オネショの記憶がかなりのマイナスイメージとして残っていたのは予想外だった。私自身がかかわった初期の阿山幼年部の現場では「オネショ研」などで注意深く観察、研鑽していたという記憶があったから。したがってそれ以外の幼年部ではオネショの扱いがどうだったのか初めて疑問を抱いた。

 もちろん幼児期の子どもらの生活環境は当然にも伸び伸び楽しいものと期待されるが、生活訓練的な場合は必ずしもそうはならない場合もあっただろう。普通の保育現場ではどうしてもしつけ的(場合によっては懲罰的な、あるいはそれを避けての家庭任せ)要素が入ってくるが、幼年部最大の強みは、そこに群れの暮らしによる相互啓発という方式を使えることだったと期待してもいた。ただ個別幼年部ではそれが何らかの事情で充分機能せず、例外的なしつけの必要が生じたかもしれないと想像してみるしかなかった。
 
 さらにまた学園数が増えるとともに、少ないスタッフが大部屋で一度に子どもを観れるという便宜が先行していなかったであろうか、気になるところではある。

   自注)思い出されてくるのは昔、感動をもって読んだニイルの著書『問題の子ども』の中の記述だった。「子どもひとりひとりに個室を与えることはできない。しかしどの子にも、自分の好きなことができるコーナーを与えられるべきだ。私の教室ではそれぞれの子に決まった場所とテーブルが用意されている。どの子も大喜びで自分のテーブルのまわりや壁を飾り立てる」とあった。
 ともかく今となっては私にはその“真実”は不明というしかない。ともかくこの作品の主人公は、「いつ棄てられるかわからない親への不安」のために自殺までも思いつめた、ということ。その苦しみの背景に幼年部があったということは重く残った。

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  さらに作品は「5歳時の記憶の空白を埋める」として、幼年部卒業生や実地を通して検証する流れになっており、それを通して示された幼年部への評価は多くはマイナスのイメージであった。もっともこれについては「やっぱりそういうことなんだな」という私の<もしや>という内奥での暗黙の予想を追認するものだった。

 ともかくその映画によって私は初めて、幼年部体験の中には10年20年の後になっても、後遺症的なマイナス部分が残るという事実であった。それは逆に良い部分が子どもの心に焼き付いているという期待とは逆の認識であった。そこにこのような、あるいはこれ以上の多くの問題が残されているとすれば、どういう形になるか分からないが、当事者の一人として私自身自己批判を免れることはできないし、またそのつもりもない。あまりにも遅すぎて申し訳ないと思うものの、出発当時の認識の甘さを痛感せざるをえない。

 ともかく今の時点で思い出せるのは以上であるが、なにしろ記憶はかなり薄れている。あれこれ再確認してみる必要もある。

 それでも現状で考えられるのは、幼年部は参画者の子弟にとってはそれなりに可能かもしれないが、一般に必要かどうかはわからないということーー
 一般の子どもらについては(親の参画が前提でない限り)幼年楽園村で充分だと考えられる。一般の幼稚園・保育園では、短期幼年楽園村的な「お泊り保育」がある程度実施されているし、父母からの要望もかなりあるようだ。これはいうまでもなく暮らしを通してのしつけが、お泊りの場合やりやすいからである。幼年楽園村は当然にもそのためのノウハウを用意できるだけの蓄積があったと思う。(2012/3)


okkai335 at 13:02│Comments(0)

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