㊽詩篇から⑶ アメンボ波紋考㊿ある年賀状から

2020年01月10日

㊾詩篇から⑷ 事故哲学

詩集『魂の領分』(2016/7)より


   


       <事故哲学>




人生晩年で<理想郷>を離れた
そしてみじめな事実から みじめな真実を見いだす

しかしそのみじめさも 変容可能であると知った
今となってみれば なんとそれは簡単なことか

みじめならみじめだと告白すればいい それがはじまりだった
辛いなら辛い 苦しいなら苦しい むかつくならむかつく  と

幼い子どもはよく解っている
そんな時にはわんわん泣くだけである 最後は眠ってしまう

そのように内にあるなにかを 外に出すだけで
その分だけ確実に みじめさが減っていくようだ

相手が居ればいいが 相手がなくともよい
いやむしろはじめは なくてよかったのである


咆哮は次第に言葉になり
壁に向かって 終わりのないモノローグをくり返す

なにも返ってこないので その“自答”を 書いてみた
頭がズキズキしたが 思いがけない快感に変わることもあった

そのことを「自己哲学」と打ったら 「事故哲学」と出た
それでよい 事故から始まって人生に 青春に 故郷に及んだ

なるほど 特別なことはなにもなかった
いつしか こだわってきたみじめさが影のように薄らいでいた


さよう あの事実は 幻視されたみじめさだった
事実はなくならないが 自分にとってより必然

かつ真っ当なものへと組み直すことができたようだ
それも より大いなる幻想の渦中かもしれないが



okkai335 at 16:23│Comments(0)

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