(53)詩篇より「働かざる者食ってよし」(55)怒りについて

2020年01月28日

(54)詩篇から ある自罰感覚

詩集『魂の領分』(2016/7)



          
           <ある自罰感覚>


七十過ぎて 道具を背負い箒片手に階段を上る
膝と腿にずっしりとかかった重力が 時に足枷のように感じるとき
労働は強いられた刑罰である と思う

それはいかなる罪への刑罰だろうか
やりたいことをやってきたはずの人生の総決算
その多くは妄動であり 挫折につながるものだった

自分の人生を狂わせたばかりでなく
妻や子の さらには他の人々の人生までも狂わせてきた
ならばそれは当然すぎる罰

それにしても そもそも人生とは狂わないで済むものか?
誰にとっても未来想定不能の人生において
狂わないといいうる確定人生はありえない

ただ自分はまだしも ひとの人生まで狂わせたくはなかった
自分もおそらく 他から狂わされてきたこともあるとは思うが
やはりひとの人生だけは・・・・・・
 

だから刑事罰がないならば せめて自罰が相応しいのだ
いうまでもないことだが 「事故哲」とは
回復不能な事故に もろ直面するところから始まる



okkai335 at 05:21│Comments(0)

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