(57)なんという不条理、そこからの「なぜ?」(59)最初の自己哲学 「自分を知りたい」

2020年02月15日

(58)特講への共感とその後の違和感

小沢牧子「『心の専門家』はいらない」から (2014/5)

   たて続けに「怒り」について書いてしまったので、初めての人には違和感があるかもしれな
い。またお前は「怒りを解消できる『特講』を受けたのになんだ」という人もいるかもしれない。その辺も含めて改めてお断りをしておく。
 まずぼくは喜怒哀楽の一つとしての怒りは肯定するが、もちろんあまり好ましいとは思っていない。さらにそれを行き過ぎて<戦闘的な>人間だと思われかねないが、それもない。そういうことに出くわしたら即刻逃げることにしている。
 それを前提に上述のぼくの論考を紹介しておきたい。

    

(小沢さん)「(研究に行き詰まっていた私は、心理学者である担当指導者から面接カウンセリングを受けた)その心理学者は、当時カウンセリングの主流を占めていたC・ロジャースの非指示療法の手法にもとづいて、初心者研究生であるわたしの悩みを静かに聴き、わたしの言葉と感情を鏡に映し出すように明確化しながら、わたしに返しつづけた。するとわたしはみるみるうちに自分の解答を見いだして、一時間ののちには『よくわかりました』と納得した。なんだか魔法にかかったように、答えを探り当てたのだった。」

 ぼくはカウンセリングなるものを受けた経験はないが、ここに記されたような場面はこれまでの伝聞から、ある程度は想像できる。そして世には<お喋りすぎる相談相手>が多いから、ここまで「非指示」が徹底できるとは改めてすごいことだと思う。相談相手とはまさに鏡であり続けること、さらにより鮮やかに対手を映し出す鏡になり切ること。それによってしか対手の自発的な思考エンジンを始動させ、自己解答に至る道筋はありえないと感じる。

 そしてこの手法は、プロによる精神病者に対する心理療法に止まらない広い応用範囲をもちうると思う。例えば教育分野における<教え育てる>から<学び育つ>世界へのイメージ転換のような。ただこれについてはぼく自身の体験として、直ちに思い出すことがある。考え方は近いが、手法がこのような一対一の関係でなく、いわゆる<集団カウンセリング>ということになろうか。

 それは、たしか1973年頃の古い時期のもので、ヤマギシ会が入門講座として開催していた特講(特別講習研鑽会)のことである。「空転する言葉の世界から体得実践へ」がいまでもうろ覚えで残るキャッチフレーズだった。したがってこれは精神病者に対する治療ではなく、いわば理念・理想探索のための希望者のために開かれた<セミナー>のようなものだった。

 その講座では、中心部に進行役が座り、その周囲に受講者が車座になった。そして進行役が発する問いを考え抜くのである。テーマはいくつかあったが、その最初のメインテーマは「なぜ腹が立つのか」というのであった。これはとても一時間で済むという問題ではなく、一昼夜以上かかってようやく解答らしきものを自力で編み出す。

 はじめは突然の唐突な問いかけに対し、受講者は当然にも疑問を持ち、中には反発も示しながらも、進行はなんの解説もせず、「なんでや?」と時折同じ問いかけをくり返すだけだった。したがってヒントとなるものは相互のやり取りだけで、その点では全くの「非指示」だった。

 ただ時間経過というものの不思議さというのか、受講者はいつのまにか自分自身に向き合い、何らかのヒントや気づきを得、中には大悟したように「本当に腹が立たなくなりました」という人も登場した。それで焦る人々が出てくるが、その後<大悟>までは行かなくとも、この長い自問自答が何を意味していたのかを、大半ないしかなりの参加者が了解していたと思う。

 それは大きく言って、山岸巳代蔵氏が構想したとされる「人類が数千年かけて身に付けて来た<教えられる>体質」克服の一過程であったかもしれない。そしてその対象のテーマがおそらく一体生活に関わる「怒り」であったと思う。ともかくこの経験を重大な契機としてぼくは参画した。

 その過程で次第にぼくはジッケンチの組織・構造の序列階層化や上からの思想・思考の画一化等に疑問を感じ始める。特講自体についてはその手法の斬新性も含めて感嘆していたので特に問題は感じなかったが、ただ参画後の生活はどうしてもあの特講体験と直通していると思えないことがままあった。

 
 それはその後の研鑽学校等での教育的習得的感覚の多用からであった。そこからいわゆる研鑽生活なるものへの失望が始まったが、「村づくり」なる実践面での多様な刺激が以後の生活をつないでいた。その結果は周知のとおりである。

 したがって事実、ぼくとのヤマギシとの本当の<蜜月>は、その特講期間だけだったというしかない。いいかえれば「なぜ?」という問いがあり、それをまずとことん自力で考え抜くということが不可避だった。「腹が立たないよう取り組む」などとは、まったくテーマ違いもいいとこなのである。それは例えば次のような問いかけから始まる。

  社会を変えようとするなら自分が変わること
  しかし今は自分を変えようとは全然思わない
  その前にもっと自分を知りたいのだ
  自分を知るとは
  たぶん自分の変わらないところを
  明らかにすること           (『魂の領域』より)

 これはいささか遅いかもしれないが、ぼくがムラ離脱後「自己哲学」(→当然現在の「事故哲学」)を意識し試みだしてからである。その方法はあくまで自己認識とその表現になるだろう。その念頭にあったのはまさにあの「特講」だった。当面は一人単独だが、もちろん同志向の人も多々おられると思う。




(註)文章の切り口は異なるが、内容的には同趣旨になるので、ご参考いただければありがたい。それは④「スローガンを与えよ――他者思考の始まり」で、埴谷雄高『幻視の中の政治』(1960年)を取り上げている。
  なお次の⑤「ヒエラルキー構造の<卑屈、傲岸、無知の体系>」も埴谷さんの論を参考にした組織の階級(ヒエラルキー)構造の批判になる。ご参照までに。




okkai335 at 13:34│Comments(0)

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