(63)元学園生の「自己表現」のリアリティ(Ⅲ)(65)この不可解の魅力――『力なき者たちの力』

2020年03月08日

(64)元学園生の「自己表現」のリアリティ(Ⅳ)

 今回取り上げるのはこれまでの流れから「元学園生Eさん」としておきます。Dさんのような発表スタイルではなく、たまたまFBでの私の文章へコメントされたものです。(2019/1)

 
  若者のイメージしかなかった彼ももう四十代。その記述にずばり感じたのは、理念というよりいわゆる世間智というものの大きさです。

「戦時中、子供たちを兵隊に送り出す。良かれと思って、良いことだと思ってやってたことが、実は……何かどっかでも似たような事?ありませんでした?
 軍隊でも暴力とか理不尽な事がいっぱいでした。戦後、それに対してどう償えるんだろう?償ったんだろう?……時代が時代やったと言ってしまえば終わりですが、当時はみんなが共通に抱える償いの気持ちがあったのかもしれません。それを知らないだけだとも」
 
 その上で幼年部関連にずばり批判的な考え方が出てきます。

「確かに子放しの学育は子供の立場からしたら行き過ぎで、孤児院や児童福祉施設などの子供のことを思うと、わざわざお金を出して育児放棄かいなと私などは思ってしまいます。……
子育てってやってみてわかりましたが、ホントに手間がかかります。
 思いは色々ありますが、学園や学育は親から育児の楽しみを取り上げたか、もしくはある人にとっては実態は体の良いコステヤマのような扱いになってしまってたような気すらしてしまいます」
 
 これらは私にはずばり耳が痛くなるような指摘です。この部分は前に、現在の私の幼年部総括で述べた「幼年部はある意味でやりすぎであり、幼年楽園村で充分だったのではないか」という認識とも関わってきます。

 この認識の最初のきっかけはいうまでもなく、前のA,さんの「アヒルの子」体験から、導き出されてきたものです。ただその後もEさんとの交流は続きます。私は自分のテーマとして「償う」をあげたところ、ずばりさだまさしの「償い」の曲や「親父の一番長い日」を紹介され、いつしか元学園生の初めて聞くような体罰の実情も知ることとなります。

 そんなわけで他の学育関連メンバーよりはずっと遅いのですが、私の情報音痴はかなり解消されてきたと思います。まだまだ多くの語り手や表現者がいるとは思いますが、元学園生の<「自己表現」のリアリティ>とはまさにずばりだと感じています。



okkai335 at 06:57│Comments(0)

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