▼出版社との各連絡(+追記)(79)微妙な誤解 「金無し」と「金要らぬ」は同義なのか?

2020年07月24日

(78)ヒエラルキーはこうして始まった

  「ヒエラルキー」という言葉は私には今でもなじめない。しかし「職場人事の序列化配置」と言ってしまうには普通の会社では日常茶飯事な風景に過ぎない。それでこれを理想社会を目指す先進的な共同体での事象としてとりあげるにはあまりにも軽すぎる。使い慣れないカタカナ用語をあえて引っ張り出すゆえんである。それで今回の著作の表紙裏の「帯」として使った。

 実はその実態、しかも発端となる出発研鑽会が堂々と始まっていたのである。以下は著作中の「ある前史」から引用になる。

【その発端は各<村>、職場のかなりの経営係が集った場でのM氏の語りだった。曰く「段取りは理念に沿い、メンバーは段取りに沿う」というのである。段取りとはこのような各<村>、職場の役職に就くもののことであり、メンバーはその掌握化にある人々のことであった。いうまでもなくこれまで不明瞭だった新体制構想の骨子であった。この「段取りに沿う」というのが大多数のメンバーの課題となり、その段取り担当者のみが理念を研鑽の対象にできるという。さらにいえば、その段取り対象者への指導監督を担う上層指導部が公然と存在しているという実態の表明でもあった。
 私にはじめ違和感のようなものが走った。そのような区分けはこれまで研鑽学校等で教えられた一体理念「一列横の人」「互いに落ちず落とさずに」に反するように思われたからである。しかし私にはすでにそれを言い出すだけの<若さ>はなかった。やはりM氏への太い信頼感が機能していたと思う。】

 おそらく「実顕地」への推進が始まった1980年以降のことであるが、私は今でもその情景、M氏の語り口、その曇りがちの天候まで蘇る。それほど当時の私には、M氏にはありえない言説として聞いていたのである。

【そしてその構想はどんどん現実化されていった。組織体制は次第に一元化序列化、ヒエラルキーの方向に構築されていく。私もその序列の上位にあって、その体制を擁護する意識になっていたが、それによる様々なきしみに鈍感であり続けることはできなかった。
“上”といっても当初はこの道の先達たちに「見守られている」という意識だった。いわば親から変わらぬ親愛の情を注がれている感覚、ところがそれが時折間一髪で「監視されている」という意識に置き換わる。これはかなり微妙な、瞬時に刺さる小さな棘のような痛みであって、心内に秘かに留める程度のことであった。しかしこのどう評価されるのかというある種の疑心は、いわば「我執」であり微妙な内心の取り組みテーマの一つでもあった。】 

 あとは小説の方で確認してもらうしかないが、私はこの記述をどこかでした記憶がない。例によってボケの一種かもしれないが、事実なら初めて書く文章である。ならば、よくぞこの作品に間に合えたものだと安堵する。亡くなっていく旧友らの報が少なくない時節だからこそ、であろう。そしてそこに、かのM氏の没後の評価が大転換(微妙な表現だが<現実顕地>ではそのままだろう)していく過程の記述も含まないわけにはいかない。
 その過程の集約の一端が以下である。

帯裏)「金の要らない村」に序列ヒエラルキーとさらに体罰まで生まれた。このまま受け止めるしかないのかと何度も自問したが、闘うという選択肢はなかった。
〈村〉を出るしかない。




okkai335 at 03:22│Comments(0)

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