2020年08月10日
81)「金要らぬ」「働かざる」の未来価値
新刊〈「金要らぬ村」を出る…〉のメッセージがどこまで届くものか、私はずっと腰を据えて待ち続けてきた。そしてその待ちきれない一端がすでに紹介してきた新型コロナウイルスに関わる私の未来構想(ぶろぐ72、73)といってもいい。さらにそれ以上のものが出ないか。
ところが出てきたのである。ある旧友B氏からの短いメールであった。
【「金いらぬ」「働かざる」は今最大の根元意識、
楽しみな本を上梓してくれた。
(元参議院議員山本太郎、れいわ新選組は
生産性を超えた生きている価値を言っている】
私がながいことねがってきた発想が、そこに短く記されていた。
すなわちそれこそ「金無しで25年も暮らした。今さら外で・・・」
の帯の文に深く連通する。
ちなみにこの「れいわ新選組」山本氏らの動きについては、このブログ(66)でも紹介済みである。
〈一昨年の参院選比例区で、「れいわ新選組」が重度の障碍者2議席を確保した。いうまでもなくその推進主役となった山本太郎氏の実践的叡智に拠るところが大きい。選挙のウソくさい無意味さを見事に大転換させて見せたのである。いうまでもなく福祉の依存者でしかなかった人々を国政の推進者に大転換させた。ハヴェルの思索と実践(「力なき者たちの力」)が時代を超えて日本でも花開いたと実感する。〉
私がB氏と出会ったのは1960年安保闘争であった。共に大学の寮生だった。
今も同じ80歳前、あの当時ともに描いた〈幻想〉を今も共にたどっていたのである。
しかもその「生産性を超えた生きている価値」を見失ってきたのはヤマギシ自体であり、そのことに長いこと気づかなかった私自身のことでもあった。
今回の新著はその取戻しの記録といってもいい。
okkai335 at 03:21│Comments(0)