(91)理念とは問いかけ自体 高橋和己『邪宗門』より(93)私の初期実顕地総括――経済の観点から(下)

2020年10月05日

(92)私の初期実顕地総括――経済の観点から(上)

(旧記載 ㊺村岡ヤマギシ論、空想的社会主義との現代的接点)

 

 前置き――このところ私には不思議なというか奇跡的なことが起こる。探しまくってきて見つからなかった原稿が再発見される。いうまでもないが私は、文章は大量に書く癖にその保管(特にPC、DVDでの)がずさんだからというしかない。頭も目も悪くなってきているんだから当然ではあろうが、私には何か奇跡のように感じてしまう。

今回の最大の発見は前回紹介した<高橋和己『邪宗門』についての記述>であり、さらに今回続けて発見できた上述の文書である。それもブログの読者のどなたかのしかけだろうが、ブログ読者ページに記載されていたのである。おそらく考え方で私に近いだれか配慮してくれたものと思う。ずっと<村岡論>として記載され、しかもブログのはじめの方で掲載されていたものだから、私は気づく機会がなかったと思う。

私はこれまで確かにいろんな総括文を書いている、他は忘れてもこれだけは忘れえない、私が現在で最も肯定できる総括文である。ただ当時の実顕地紹介を目的とした村岡書を切口にしたため、その意識が先行した。

 

                

本文(序)

 

当時例の「係りの暴力」「子どもへの作業強制」「洗脳集団」等のマスコミ攻勢に対して、ヤマギシの対応は「事実誤認」「誤解・曲解」等の防御一辺倒の印象だった。私も指摘されている実態のかなりは事実であろうという負い目によってほとんど何もできなかったが、心中もっと真っ当で賢明な対応はできないものかと歯噛みもしていた。

 

 のちになって考えたのは、間違った事実は事実として自己批判的にはっきり認め、他方私たちの<存在真価>(「レーゾンデートル」と言ってもいい)をはっきり打ち出しながら、今はそれへの未熟な過渡にあることを真摯に説明するしかなかったのではないか、ということである。

 

 そのいわゆる<存在真価>に当たるものは実は<学育>ではなく<経済>ではないのかというのが、その時の私の遅すぎた気づきだった。村岡氏の「無所有経済組織」論はそのことを鮮明に思い出させたのである。 

 

                                                          (1)

        

  その前に問題の学育面のことだが、ジッケンチの子どもらの朝食摂取の容認、高等部生の通信制ないし全日制入学、実親の子育て参加(夕食を共になど)などの変化が2000年前後に集中しており(175p)、その種の情報に疎かった私には意外に早かったという印象がある。村岡氏はこれを「改善」と明記しているが、私はその表現に苦い思いを禁じえない。

 

  なぜならそれは、これまで頑固に貫いてきた路線からの<後退>であるが、そこに組織の生存をかけたあからさまな政治的対処(それを即断できた人材がいたということ)があったと推測される。この頃から実顕地メンバーの大量離脱が始まったこと(私の実質的離脱は1999年)を勘案してもいい。いうまでもなく、そのような大事をメンバーの大衆的研鑽によって断行したわけではなかろう。

 

 ところでヤマギシがマスコミ等によって社会的に糾弾された2000年前後の事態について、村岡氏の評価はどうか。この部分についての村岡氏の記述は、「逆風」「成功ゆえの眩惑やおごり」「勝って兜の緒を締めよ」等の評言に終始しており、具体的ではない。

 

 この間の実態については、私も自分のHP等で縷々書きつないできたし、元教育誌の編集者であり、ヤマギシ会員でもあった知友の言を借りてもいい。彼はヤマギシのありようとして「思考の他立化」「感性の画一化」「組織の官僚化」「全員一致の欺瞞」「意志の上意下達」「学究(文化)の軽視」「科学的思考の不足」と厳しく評している。そしてこのことの<負の蓄積>がいかにマスコミ攻勢等の外圧に弱かったかも如実に示されたし、以降のヤマギシ大量離脱の原因になってきたことも疑いない。  

 

                                                          (2)

 

 そこでまたその「経済」の問題にもどるが、それは実に世人だれもが感じる驚きだったろう。いわゆる「無時間」の理念では、「出勤や退勤の時間が決まっていない! 自分の都合に合わせて出勤する」と村岡氏が感動的に述べている。また<一つ財布>「無所有」の実態となると、まさに驚嘆すべき内容だった。体験者のわれらこそ当たり前すぎて改めて説明に困るくらいだが。

 

 だからそのような社会に日常的に当たり前に暮らしていた私たち参画者からすれば、その<驚き>にこそ驚くだろう。逆にいえば、われらヤマギシストこそ社会主義者が想定したような<真価>にあまり気づいていないノウ天気ぶりだったということになる。何しろ村岡氏からすれば私有財産否定、共産主義社会実現を目指しながら夢見記述し展開してきた空想世界が、現実そこに存在していたという事実だったろう。

 

 したがってマスコミ攻勢とともに、そのメンバーが一時に大量に離脱しはじめたのは村岡氏にとって信じがたいことだったはずだ。ともかく離脱者にとっては<無所有経済組織の真価>どころではなかった。かれらは理念的には終生生活保障のシステムを承知しながら、あえて大不況真っ只中の競争社会に逃れざるをえなかったのである。

 

 しかし村岡氏はその取材によって、ヤマギシの現実の問題点を承認しつつも「経済」の実態については「社会主義理念の現実化」を実感できたであろう。この二面性は実は私と逆になる。私の場合は経済の「無所有」実態は肯定するものの、他の面では無理であるがゆえに離脱した、というのが私の経歴になる。

 

 ふり返ってみれば私も参画前は、村岡氏同様社会主義者だったのである(<かくれ>の時期が長いが)。だから彼の<経済>、すなわち「生存権保障社会の実現」の観点からヤマギシを取り上げるという試みは大いに共鳴するし、その展開に<さすが―>という感銘しきりだった。(続)

 



okkai335 at 05:58│Comments(0)

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
(91)理念とは問いかけ自体 高橋和己『邪宗門』より(93)私の初期実顕地総括――経済の観点から(下)