米俵も土俵に(1)米俵も土俵に(3)

2020年11月03日

米俵も土俵に(2)

その作業は主として細川が担当していたが、上の作業は中学生がやっていたので驚いた。私は彼といっしょにというより、彼の指示を受けて作業に加わった。細川に訊けば学校に行ってない。学校よりこっちがいいそうだ。登校拒否という言葉はまだほとんど聞かない頃だった。教師時代からデスクワークよりは“実学”を尊重していた私にはなんの違和感もなかったが、別海の中学生たちは学校には通っていたから珍しかったのだろう。

 

彼はなにも語らなかったが、仕事は着実だった。飼料袋の上部の糸を抜いて口を開き、本数がまとまったら下の細川の指示で釜に投入する。それが終わったら袋を整理し片付ける。単純そうだが、ガランゴロンという釜の回転音の中、下の細川との連携というか気持ちの一致が、作業進行の上でもまた安全面でも不可欠だった。私は別海時代はそれほど意識はしなかったが、こういう心理上の部分を作業の“一体”、または“一体作業”だということをこの後頻繁に認識することになる。この中学生がここが学校より面白いとしたら、作業の達成感もあるだろうが、ひょっとしたらこの一体感の充実も感じているのかもしれない。いやもっと平たくいえばスポーツ感覚のようなものかもしれない。 

今度は私がこの少年がやりやすいように飼料袋を彼の近くまで運搬したり、空き袋の片付けから仕事を始めた。

 

 

養鶏部配置を知らされた私は、鶏舎をはさんで配合所とは反対側にある部室に出向いた。そこで一人で待っていた養鶏部段取り係の鯵沢は四十代半ばのよくしゃべる男だった。養鶏はR会創始者が自分の思想を養鶏法に顕したとか、養鶏部はR会産業の出発であり元となる職場だとか、今は各顕現地建設を推進できる人材養成の“ダム的役割”を持つとかを延々と語った。まあ他共同体から来た新人への親切心からであったろう。別海では怒鳴る牛飼いの孟チャンが珍しかったが、口舌よりは実践を重んずる気風らしいR会で彼は珍しいタイプに思えた。

「ところで新堂さんは今回どんなあたりで里郷に来られてますかのう?」

 とうとう本題に入ってきた。私はこれから取り組んでいく“あたり”を述べなければならない。鯵沢もそうだが、ここに配置される以前の研鑽学校でもよく使われる言葉は“どんなあたり”であった。

「どんなあたりといわれましても……まあR会の『一体』というのはまだよく分からんのですが、皆さんのやる気に打たれて、ということでしょうか。ともかく皆さんよう働きますね。別海でぶらぶらやってきたぼくには脅威ですわ」

「脅威といいますと?」



okkai335 at 01:29│Comments(0)

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