米俵も土俵に(12)米俵も土俵に(14)

2020年11月16日

米俵も土俵に(13)

私には以前より抵抗がなかったが、少しばかり毛羽立つものがあった。ところが三人の反応は私の目を引いた。いかにも恐れ多いオコトバを賜った臣下の如く大きく首を縦に振ってうなずいたのである。それは私にいまだ知らぬこの杉原という男の存在の大きさを想像させた。

ともあれ私には自分がこういう場に呼ばれているという違和感は解消されなかった。自分はどうも選ばれたらしいが、なにかの誤解、人選ミスではないのか。この間私はかなり熱心に取り組んだが、それもこの路線への献身というよりかなり探究的試行が強い。私は「自分にやれるかどうか・・・・・・」と不安を投げかけるとシゲおばさんは返した。

「それもまずやってみることやわ。新堂さんの持ち味なら充分やれるよ」

杉原氏は同じ微笑で後を続けた。

「まあ今は過渡期やさかいな。ひとりひとり持ち味を生かすというより、そうなる前の元づくりやな。米俵を土俵に使わんならん時もあるでの」

 言い方は田舎親父のように朴訥だが、それは一瞬に仄見えた衣の下からの太刀の一閃だった。私にとっては薄命の中にあった方法、手段についての、あまりにも明解で当たり前な解答だった。目的と手段に関わる古来からの問いに、少しは期待していたR会らしい特別な方式などはないのである。やはり目的実現には捨石が必要なのであり、それがいつの時代のどんな組織にも変わらぬリアリティーだというしかない。そして今この時、お前はその土俵になれるかとあからさまに問われていた。

 よく言うよ、なんとおれは土俵なのか! 私のなかに一瞬それはないよという怖れが走った。彼らがおれの何を以ってそう描けたのか? 実際行った先で具体的に何をやるのか、まだ漠然としている。それもいわば一体家族感覚による信頼だろうか。こういうことは、だいたいはほとんど捨て石みたいなもので、やってみなければわからないし、おそらく多くは失敗に終わってきたプロセスもあるのではないか。

しかし私のなかにその種の抵抗は長くは続かなかった。ここで断るという選択もないではないが、自分でその先を描ける状況ではない。それよりもどうも土俵にもなれる人物として自分が評価されているらしい。この甘酸っぱい粘着力は抗しがたいものだった。どんなことになるやら分からないがやっていくしかないだろう。

シゲおばさんが、何かあったらこっちに遠慮なく声かけてね、といってこの短時間の会合を締めくくった。



okkai335 at 02:01│Comments(0)

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