アマゾン書評あり米俵も土俵に(19)

2020年11月22日

米俵も土俵に(18)

  もう一人学生上がりで参画したての若い女性。よく働いていたが、ある時ばったり出てこなくなった。足が痛くて歩けないという。明らかにずる休みではない。外科に行ってもらって付いた診断が「行軍病」だというのだ。異常はなく極度の疲労だけで、医者も他に付けようがなかったのだろう。こういう〝患者〟が出れば私も可能な限り病院に運んだが、自分の歯医者行きは一回でそのままだったから、後でその後遺が出てきてもそのままだった。

  ともかく私にまずできることは、朝寝坊常習のメンバーを起こしてくること、仕事をよく休むメンバーを連れ出してくることだった。それも自分の作業時間に食い込むため、そのための時間があまり取れなかった。こういうことはじっくり話し込むしかないのに、ついついお座なりの声かけに終わる。というより相手の気持ちや事情が分かれば、もうあまりいうことはなかった。せいぜい、一人で篭ってるよりみんなと一緒に思いっきりやったほうが楽しいやろ、というしかない。しかし私の顔は明らかに、鶏が待っているよ、短時間でも出てきてくれば助かる・・・・・と語っていた。困っているから何とかしてよ、というのは私の矜持が許さなかったが、その一線を時には越えていた。別海以来ずっと相手の希望や自発性にこだわってきた私には、こういうことはあまりやりたくない呼びかけだった。


  しかもここは、こういう呼びかけがいかに無効な環境であるか思い知らざるをえない。ここも『むつくさ』と同じく、ベースは〝働かざれど食ってよい”社会だった。働こうが働くまいがいわゆる代償としての給与はなく、それでオマンマに食いはぐれることはなかった。仕事へのムチはなかったからか、人は事あるごとに休んだ。別海のブラブラ酪農もそれが背景にあった。ムチでもなくアメでもない何かかがはっきりしなければ、いわばキタナイ、キツイの3Kに近い鶏舎の作業などに人は出てこないだろう。養鶏という仕事が特別好きなら別だが。


  私にはこの消耗な状況を乗り越える手がかりは見えず、おれもいつかはぶっつぶれるしかないかと諦めも兆した。ところが不思議に体力は持ち続けた。同僚の長谷はわりと淡々としており、彼のしわがれ声はいつも柔和で落ち着いていた。私は長谷と出会うと、時にはじれったく思うが、自分の方がいつもいきり立ち走り回るタイプだという気がした。それで自然に私は人事面に、長谷は養鶏飼育面に集中するという分業ができていった。



okkai335 at 10:33│Comments(0)

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