米俵も土俵に(18)米俵も土俵に(20)

2020年11月23日

米俵も土俵に(19)

            (七)村中の職場

 

私たち夫婦は北海道からすれば灼熱の夏をなんとか乗り切った。気がつけば、あちこちの草叢に不意に姿を現し自己主張を始めたかのように彼岸花が真っ赤に咲いた。この地方の秋だった。どこから火がついたかわからない。その火はいつのまにか広がり、佐名木の全体を席捲していった。各職場ごとではない全員対象の研鑽会が頻繁に持たれるようになっていったのである。

  もともと職場横断の集まりといえば十日に一度ほど「なかよし研」という班分けした生活体毎の交流の場があったが、ほとんど人が集まらなかった。集まったメンバーも「今は心境がよくないです」などという気詰まりな語りが多く、元気が出るような場ではなかった。ところがこの「全研」は中調グループと顕現地グループが同席・交錯し、しばしば論議が沸騰する場になった。


  発端は、その合同「なかよし研」に顕現地グループがまとまって参加し始めたことだった。新たな職場としてブロイラー部やダスト(未利用資源部)が増えたり、人事の交流によって顕現地グループの勢力はかなり増大していた。彼らはなんとか佐那木の生活体全体に関わろうとしていた。いつもは夜遅く仕事が終わってからでは間に合わないので、その日の参加に合わせて作業を前後に振り分け時間調整をしていた。

  中調グループといってもまとまりがあるわけではなく、始めは幹部クラスがぼつぼつ参加してくる程度だった。そして多くは、自室でこれまで通りくつろいでいた。そこで顕現地メンバーは人手厳しい職場での取り組みやその仕事にかける思いを語ることになる。養鶏メンバーは、作業に込めたイズム理念の発見や実践の過程、さらには言葉より雄弁にイズムを世に伝える一個の卵の広がりについて語った。


  新しく参加してきたダストの若いメンバーは「飼料として無尽蔵な未利用資源の開発を通して、人材としての資質を互いに引き出しあう楽しみ」を語った。里郷発祥のダストはその釜に合わせての昼夜兼行の「無時間」労働とそれへのメンバーの献身によって、いつしか顕現地造りの神話的極北になっていた。



okkai335 at 05:02│Comments(0)

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