米俵も土俵に(23)米俵も土俵に(25)

2020年12月02日

米俵も土俵に(24)

発言者はみな全研参加者でその余韻から以前よりはずっと気持ちが高揚していた。私は一瞬疑った。私はひょっとして正義を象った魔を解き放ったのでないか? 仕事を肩代わりさせられたという報復の魔を。弱者をいじめ攻撃するという本能の魔を。

 たしかに昔聞いた査問や人民裁判のような雰囲気だったかもしれない。しかし一方で、いっしょにやろうよ、というメンバーの声かけは、自己批判を介した真摯な呼びかけであり、激励であることは疑うことはできない。ただ流れる時間、その一瞬の心の内実は外からは見えない。たとえその内実が真であっても、そのことがそのまま相手に伝わったかどうか。仁谷はほとんどなにも言わなかった、いや言えなかった。泣きそうな顔をしてうなだれているきりだった。

 一線を越えてほしいというねがい、そのことによって相手の幸福をねがうということは当然あっていいことではないか。人には自力だけで自分の弱さ、曖昧さ、怯懦を乗り切れない時がある。それを援助してあげるのだ。その際の遠慮や同情は、その人のことを真から思っていないことになる。


 翌日から職場に出てくるようになった仁谷をみな歓迎した。顔色はどこか冴えなかった。一週間職場に出たあと仁谷は消えた。つまり佐名木を夫婦で無断で出ていったのである。やりすぎたか! 
 私に一瞬後悔の念が走った。もっと仁谷の言い分を引き出してあげたら・・・・・・
 仁谷がもっと率直に自己説明できる人間だったら、そこまで自分を追いつめなくてよかったかもしれない。

  他方、それでよかったかもしれないという安堵も覚えた。仁谷はここではやれないという見切りがついたのだ。それはこちらがそうさせたわけでなく、彼自身が見切りをつけたのだ。だれがきてもここでやれる場をつくるという理想にウソはないはずだが、そのプロセスを担うのはだれでもいいというわけではなさそうだ。だれでも“土俵”になれるわけではない。一線を越える幸福を知る人と条件が整って幸福になる人とはちがう。仁谷はここに来るのが早すぎたのだ――

 

 



okkai335 at 02:11│Comments(0)

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
米俵も土俵に(23)米俵も土俵に(25)