面接(7)面接(9)

2021年01月21日

面接(8)

 R先生のことが話題になったせいか、彼は思いがけず長時間その部屋にいた。それは職場の係としての役割を超え、島田と人間として対等に向き合うものだった。彼の島田に対する認識は一変した。ウソのない誠実な男だった。それまではただのタバコをやめられない意志薄弱な男だとどこかで思っていた。そういう視線を島田は感じていたのだ。彼は自分が優越と蔑みの感情を持っていたという自覚はなかったが、ここで初めてそれに近い感情の存在は否定しきれないと思う。

 それが気になって彼は三日後にまた島田の部屋を訪れた。別に行かないでうっちゃいておいてもよかったのに、なぜその気になったのだろう。彼は告白した。

「あとで冷静にふり返ってみると、あんたのいう通りの気持ちもなかったわけではない。お恥ずかしい……」

「いやあ、とんでもない。他人の心は分らないのに、おれには劣等感が強くて他人から逆に優越感をかんぐりすぎる癖があるようです」

「自己革命でそういう差別感は解消できると取り組んできたつもりだったが、まだまだ未熟だった」 彼は憮然としながら言った。こういう反省を幾十回と繰り返してきたことだろう。 自己革命の理念の背後にあるのは、社会を変えようとするなら、他を変えるより前に自分が変わること。そしてそのように自己革命した人々による理想的なモデル社会の創出が、暴力や破壊によらない社会革命の原動力になると考えられていた。またそのモデルである共同体の成り立ちも誓約や契約によらず、他に求めない個々の自発的な社会形成と自己革命の意欲にかかっていた。他の共同体とちがいR会の村づくりの成功はおそらくその基本原則を外さなかったことに因っていたろう。

 その内実は私心や私情を超える他を思う心情の深さであり、身近な他者から世界全人に至る小愛から大愛への広がりだった。その愛は「無我執一体」の境地を体得する自己革命によって啓かれるとされる。したがって、人への差別は外在的な構造より前に、個々の心にある差別観こそ払拭されねばならない。彼は創設以来の会のその理念を信奉し続けてきた。島田は彼の反省を否定も肯定もしなかった。

「――というより、おれはそれはどだい無理だと思うんですよ。そういう達人はいるのかもしれん。あるいは、生まれながら赤子のような心をもった人ならできるかもしれんけど……。失礼ですが、あなたのような二十年選手が取り組んでもまだ難しいというんやから、これはもともと無理なテーマなんですよ。そう、一度開き直ってみたらいいんじゃないか、と最近思うんですけど」

 えっ、それは自己革命放棄ということ? 島田のいささかあからさまで悪びれない主張は彼を驚かせた。同時にその結果は彼の人間としての枠組みを崩壊させるのではないか、と怖れたが、ほんの少しばかり彼をほっとさせてもいた。そうか、そんなふうに考えてみたことはなかった。いつも自分の至らなさを責めることしか知らなかった。

「例えば、ちょっと劣等感とかあるいは孤立感なんて感じちゃったりすると、自分の心境のレベルが低いからそう感じてしまう。そういう自分がおかしいのじゃないかって。そんな感じのことなかったですか? おれはしょっちゅうでしたよ。そんな時それを抑え込んで抹消してきたんですよ。するとだんだん感じなくなる。それはある境地に達観したというより、ただの不感症になっただけじゃないですか。だけど、それではそういう気持ちの出どころを調べて問題を解決したことにはならないでしょう」



okkai335 at 01:48│Comments(0)

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