面接 (11)面接 (13) 

2021年01月28日

面接(12)

  島田の部屋に通うごとに二人の話題は広がっていった。好き嫌いや趣味について、参画前の生活のこと、故郷や親のことなど語り合った。このところ仲間うちではあまり話題にならないことばかりで彼には新鮮だった。

  というのは、これらはかなりムラ内ではタブー視されつつある話ばかりだった。思い出話は過去に浸ることであり、趣味話は仕事から逃避、また個人的なつき合いは一体生活の阻害要因で、いずれも今やるべきことからの逃避とみなされていた。

 しかし彼のなかではずっと使わず萎れていた分野が、乾燥野菜が水滴を吸収するように膨らみ始めた。そんな時間にこれまで知らなかった安らぎと救いを覚えた。それは活気に満ちた職場とも違っていたし、夫婦の馴れ切ったとりとめのない時間とも違っていた。

 あるとき島田はタバコを一服した後にっと笑った。

「こんな個人的な話ばかりしてると我執の巣をはびこらすってことになるでしょうね」

「ううむ、そうまで思わんがあんたの影響かね、真実というのがかなりきつくなってきた。『その真実というのが、どんどん分からなくなってきましたよ』とは言える」

 なんでもありの相対世界の混沌を踏み分け、あるべき姿を求め、ようやくR会の「自然全人共生一体」の真実世界に到達できたという自負は、何度かその実感を再生産してはきていた。しかし強調されすぎる〝真実〟はどこかで検証されざる思い込みを増幅させないとはいえない。そしてそれはいつか宗教・信仰に転化する危うさをはらむ。

「思い出とか、故郷とか、親とかいうのは、その人にとってかけがえのないもの、まあ自分の一部みたいなものでしょう。そういうのを放して真実の自分に到達するというんですが、それがどうものっぺらぼうになっていくようで……」

「放すとは、そういうのを無くしろというんじゃなくて執着はいかんということだろ。先生も無我執の解説で『我当然、執抹殺』といわれておった。だからおれにすればその我を豊かにして『大我』まで到達するというイメージだったんだが、しかしなんかその『我』もやせ細ってきたような気がしていたよ」

 その我執の否定抹殺が行き過ぎて我自体の否定・縮小、それどころか我の崩壊を招いているのではないか。それはどこかちがうと考えざるをえない。その過程は必ずしもリーダー的人物やタブーという周囲の雰囲気で強いられるばかりではない。自らの熱心な取り組みによって、あらゆる私的な芽を摘み続けてきたのだ。

 私心は摘むものでなく、湧き出ずる愛さえあれば自然消滅するものではないのか。いったい我執に支配されない我とはなにか? 彼は島田との時間が、この我を互いに手探りで探り合う時間のように思えてきた。それが我の蘇生再興につながるような予感を覚えつつも。

「それにしてもなんで参画したんですかね。なんか独り身の気楽さかあっさり入ちゃったんですが、突き詰めた結果というより、突き詰めなきゃならんものから逃げだしたんじゃないかという気がしてしようがない」

「ううむ、前進と逃亡とは紙一重のところがあるからな」

 それは彼にも思い当たることだった。単なる転職でなく三十過ぎで教師を辞めるとは、おれは相当に燃えやすい人種だろう。理想への情熱に基づく必然の流れと思ってきたが、情熱というのはどうも複雑なデティールを単純平凡化してしまうところがあるようだ。

 僻地に近い酪農村での教師生活、厄介な生徒指導の連続でニコチンとアルコール漬けの疲労に見舞われることもあったが、あれはあれで自然に恵まれた充分豊かな生活だった。なにを血迷ってそこを飛び出したのか。たしかに学生運動で刻印され一度は封印していた革命幻想が、R会に触れて燃え出していた。それに家事育児に縛られない生活を夢想した妻も同調した。しかしさらにその裏に何があったのか。

 蓄積された多くの幻滅とそれでも鎮まらぬ欲求との相克とでもいうべきものが、あのとき均衡を崩したのだ。別の選択が可能だったかもしれないそのデテイールが、いまは茫漠として失われている……

 



okkai335 at 05:26│Comments(0)

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