面接(12)今蘇る『追わずとも牛は往く』のこと

2021年01月31日

面接 (13) 

 

(五)

 

 島田の部屋を最初に訪問してから三ヶ月ほどたっていた。彼は職場を休むことも多くなってきた。そして職場の係も辞めようと思った。しかしこのことは“幹部”たちの期待を確実に裏切ることになるだろう。一面では大愛の人としてかれらを尊敬もし受け入れてきた習慣から、説得されればまた動揺するだろう。彼は幹部たち一人一人のこれまでのイメージとちがった強持ての顔を思い浮かべた。

 ある夜島田の部屋を訪れた時、島田は湯呑に見慣れないビンからなにやら注いで彼に差し出した。一口呑んでみるとそれはまぎれもなく焼酎だった。はっは水杯ですよ、と島田は笑った。そして彼に告げた。

「おれは明日、ムラを出ていきますわ……」

 このところの島田の気持ちや様子から察していた彼は、それを止める理由がなかった。

「おれがここに留まる理由をいろいろ考えてきたけど、もうなにもなくなりましたよ。要するにここでの理想と正義の道に付いていけない落伍者、いいかえればここでは種撒く人にはなれなかったということ。いつまでもゴロゴロしてればみんなに迷惑をかける。でも自分が何をやりたいのか、自分が何者かよく分からない。ここでは鏡が一つなのでよく見えない。それがこの始末さ」
  

 島田は壁の肖像画を顎でしゃくって見せた。彼は島田がなんでこんな絵を描くのか分からず、単なる技法の一つとしか思っていなかった。言われてみればそれは確定しがたい自分の像を求めての苦悶の跡だったのだ。

「そうだよ、おれもあんたのお篭もりに付き合って、ここはどんなところで自分が何者か、これまでとは映り方のちがう鏡がありそうに思えてきた。まだ薄ぼんやりとしか見えないがね」

「ここにいつまでいても、そのぼんやりは変わらないとおれは思うんです。だから外でもっといろんな鏡を探してみる。でもおれの本当にやりたいのはそんなことじゃない。少し落ち着いたら、まずあちこちの山に登って絵を描いてみたい。おれにとって大事なのは、種撒く人かそれともそれを描く人かだ。またじっくり考え直してみますよ」

 それは彼にとっても同じことだった。おれにとっての振り出しとはなにか……。彼も、島田と一緒について行きたい気持ちがないわけではなかったが、未だ現実感がなかった。まだここでやれないこともないだろうとか、妻や娘のこととか、あれこれの思いがつきまとっていた。しかし島田との時間以外はここではもう自分の心が震えないし、精神は停滞したままだった。実感不充分なあり方を習慣のように実践してきただけだから自業自得だとは思うけれど。

 島田も、特に勧めるようなことは何も言わなかった。ただ焼酎のビンが空っぽになり、お開きにしようかという時、島田は言った。明日は静かに消えるから見送りなしにしてください……

 



okkai335 at 01:23│Comments(0)

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